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庭の怪
にわのかい
作品ID1612
著者田中 貢太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の怪談」 河出文庫、河出書房新社
1985(昭和60)年12月4日
入力者大野晋
校正者松永正敏
公開 / 更新2001-02-23 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 加茂の光長は瓦盃に残りすくなになった酒を嘗めるように飲んでいた。彼はこの二三日、何処となしに体が重くるしいので、所労を云いたてにして、兵衛の府にも出仕せずに家にいた。未だ秋口の日中は暑くて、昼のうちは横になったなりに体の置き処のないようにしているが、ついうとうとして夕方になってみると、幾らか軽い気もちになっているので、縁側に円蓙を敷かして、一人でちびりちびりと酒を飲むのであった。
 月の無い静な晩であった。庭の前には萩が繁り芒が繁っていたが、その芒にはもう穂が出て、それが星の光を受けて微な縞目を見せていた。光長はその眼をおりおり庭のほうへやったが、おもいだすと瓦盃の縁に唇を持って往った。
 静な跫音がすぐ傍で聞えたので、光長はちょと顔を左のほうへ向けた。其処には切灯台の微紅い灯がほっかりと青い畳の上を照らしていたが、その灯の光に十五六に見える細長い顔をした女の童の銚子を持った姿をうつしだしていた。
「おお、酒を持って来たか、其処へ置くが好かろう」
 女の童は静に傍へ寄って来て、口の長い素焼の銚子を光長の前へ置くなり、黙って引きさがって往った。
 光長は思い出したように空になった瓦盃の銚子の酒を注いだが、注いだなりにそれを持つのが如何にも大儀だと云うような容をして見詰めていた。庭の何処かで虫の鳴くのが聞えて来た。光長はそれを聞くともなしに聞いていたが、手許が淋しくなったので、やるともなしに瓦盃に手をやって、今度はひと思いに口の縁へ持って往って、飲んで見ると気もちが宜いから一口に飲んでしまった。
 光長の頭はみょうに重どろんでいた。何を考えるにも億劫で、それで何もかも面白くなくて、己の存在を持てあましているとでも云うような状態にあった。しかし、光長にはこれと云う不平があると云うわけではなかった。公のことも家庭のことも、皆彼の思うようになっていて、すこしも神経をいらだたせるようなことはなかったが、それでいて物事が面白くなかった。
「やっぱり、俺は体のせいだ」
 光長はそう云うことを思うのも苦しくなって、坐っているのが億劫になって来たので、盃を置くなり、体をごろりと横に倒して、左の手に頭を支えながら庭の方へ顔を向けた。涼しい風がもそりもそりと動いて来た。光長は気もちが好かった。
「好い気もちだ」
 暗かった庭が次第に明るく見えて来た。芒の穂の縞目がはっきり見えるような気がして、光長はその芒の叢に眼をやっていた。と、強い風が吹いて来たようにそれがさわさわと動きだした。犬か猫かなにかそうした物が寝ているのではないかと思って、じっと眼を据えたところで、その中から這いでて来たように一人の少年が起ちあがって、それが此方の方へ向いて歩いて来た。十二三に見える痩せた男の子であった。光長はすぐ彼の少年は盗人に来たに違いないから、もすこし見届けたうえで、もし盗人であったら酷い目にあ…

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