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金鳳釵記
きんぽうさいき
作品ID1634
著者田中 貢太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中国の怪談(一)」 河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年5月6日
入力者Hiroshi_O
校正者noriko saito
公開 / 更新2004-12-03 / 2014-09-18
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 崔興哥は春風楼を目的にして来た。そこには彼の往こうとしている呉防禦という富豪の家があった。少年の時、父に伴われて宣徳府へ行ったきりで、十五年間一回もこの揚州へ帰ったことのない興哥は、故郷とはいえ未知の土地へ来たと同じであった。彼は人に訊き訊きして、もう陽の落ちる頃、やっと呉防禦の家へ著いた。
 表門を入って中門の前へ往ったところで、下男が門を締めようとしていた。興哥は手をあげて下男を招いた。
「わしは、旅から帰ってきた興哥じゃ、旦那様にお眼にかかりたいから、取次いでくれないか」
 下男は不審そうに興哥の風采をじろじろ見てから入って往った。興哥はそこへ立って黄色に夕映した西の空を見ていた。
 下男が急ぎ足で引返してきた。その下男は初めの態度と打って変って恭しくなっていた。
「旦那様が大喜びでございます、さあ、早くお入りくださいますように」
 興哥は入って往った。そのまわりの庭の容に見覚えがあるような気がした。室の中へ入ると防禦が出てきて立っていた。
「おお、興哥さんか、暫く逢わない間に、立派な男になった、さあ、おあがり、話したいことが山のようにある」
 興哥はほんとうの父親に逢ったように涙ぐましい心地になって、ちょっと挨拶をしながら防禦に随いて往った。次の室には明るい燈があった。二人はその燈を中にして向きあった。
「今、何か御馳走が出来るが、それまで話をしよう、お父さんもお母さんも、皆御無事だろう」
 防禦は心持ちよさそうに顔をにこにこさして言った。興哥は淋しそうな顔を見せた。
「実は、その父も、母も、歿くなりまして」
「なに、お父さんも、お母さんも歿くなった」
 防禦は眼を瞠った。
「そうです、父は宣徳府の理官を勤めておりましたが、三年前に歿くなりました、母の方は、父よりも二三年前に歿くなりました」
「そうか、それは知らなかった、それでは、どこもかしこも不幸だらけじゃ、しかし、よく帰ってきてくれた、力を落してはいかんよ」
「いや、もう私も諦めております」
「そうじゃ、諦めなくちゃいかん、諦めるに就いては、まだ一つ諦めて貰わなければならないことがある」
「え」
 興哥は防禦の顔を見た。防禦の眼は曇っていた。
「あんたと許嫁になっていた興娘も、病気でなくなったのじゃ」
「え、興娘さんが」
 驚きに見ひらいた興哥の眼が悲しそうになった。
「あんたには気のどくだが、しかたがないことじゃ、諦めておくれ、半年ほど患ってて、二ヶ月前に歿くなったのじゃ、あんたの処から許嫁の証に貰っていた鳳凰の釵は、あれは棺の中へ入れてやった。長い間あんたの方から便りがないものだから、妻は嫁入りの時期を失うから、他から婿を取ると言ったが、わしは、あんたのお父さんと約束があるから、それには耳を傾けなかった、あれもまた決して、他へ往こうとせずに、あんたのことを言い言い死んで往ったのじゃ、あれは…

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