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竇氏
とうし
作品ID1661
著者田中 貢太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中国の怪談(二)」 河出文庫、河出書房新社
1987(昭和62)年8月4日
入力者Hiroshi_O
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2003-08-19 / 2014-09-17
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 不意に陽がかげって頭の上へ覆をせられたような気がするので、南三復は騎っている驢から落ちないように注意しながら空を見た。空には灰汁をぶちまけたような雲がひろがって、それを地にして真黒な龍のような、また見ようによっては大蝙蝠のような雲がその中に飛び立つように動いていた。そのころの日和癖になっている驟雨がまた来そうであった。
 南は新しい長裾を濡らしては困ると思った。南は鞭の代りに持っている羅宇の長い煙管を驢に加えた。其処は晋陽の郊外であった。晋陽の世家として知られているこの佻脱の青年は、その比妻君を歿くして独身の自由なうえに、金にもことを欠かないところから、毎日のように郊外にある別荘へ往来して、放縦な生活を楽しんでいた。
 雨はもうぼろぼろ落ちてきた。こうした雨は何処かですこし休んでおれば通り過ぎる。何処か休む処はないかと思って眼をやった。其処は小さな聚落で家の周囲に楡の樹を植えた泥壁の農家が並んでいた。南は其処に庭のちょいと広い一軒の家を見つけた。自分でもその聚落のことを知っており、また聚落の者で自分の家を知らない者はないと思っている南はすこしも気を置くことなしにその門の中へ入って、驢から飛びおりるなり、それを傍の楡の樹に繋いでとかとか簷下へ往った。
 雨は飛沫を立てて降ってきた。南はその飛沫を避けて一方の手で長裾にかかった涓滴をはたいた。南の姿を見つけて其処の主人が顔をだした。
「これは南の旦那でございますか」
 それは時おり途中で見かける顔であったが、無論名も知らなければ口を利いたこともない農民であった。
「すこし雨をやまさしてください」
「どうか、お入りくださいませ、いけませんお天気でございます」
 南は主人の後から室の中へ入った。其処は斗のような狭い室であった。
「ちょっと掃除をいたします」
 主人は急いで箒を持って室の中を掃いた。南は主人が自分を尊敬してくれるので悪い心地はしなかった。
「どうか、かまわないでください、すぐ失礼しますから」
「どうかごゆっくりなすってくださいませ、こんな陋い処でございますが」
 主人は次の室へ往って茶を持ってきた。陋いので坐るのを躊躇していた南も坐らない訳にゆかなかった。
「では、失礼します」と言って坐った南は、主人の名が知りたくなったので、「厄介になって、名を知らなくちゃいけないが、あなたの名は、何というのです」
「わたくしでございますか、わたくしは、廷章と申します、姓は竇でございます」
 主人の廷章はまた次の室へ往ったが、其処で何を為はじめたのかことことという音がしだした。その物音に交って人声も細ぼそと聞えてきたが、窓の外の雨脚に注意を向けている南の耳には入らなかった。その南の雨に注意を向けている眼に酒と肴を運んできた廷章の姿がふいと映った。自分を尊敬していることは知っていても酒まで出すとは思わなかった南は眼を[…

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