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軽井沢
かるいざわ
作品ID1697
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「日本随筆紀行 第一一巻 長野 雲白く山なみ遙か」 作品社
1986(昭和61)年7月10日
初出「経済往来」1933年6月
入力者もりみつじゅんじ
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2003-05-21 / 2014-09-17
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十五年ほど前の夏休みに松原湖へ遊びに行った帰りの汽車を軽井沢でおり、ひと汽車だけの時間を利用してこの付近を歩いたことがあった。その時の記憶と今度行って見た軽井沢とで、目についた相違はと言えば、機関車の動力が電気になっていること、停車場前に客待ちのリクショウメンがいなくなって、そのかわりに自動車とバスと、それからいろいろな名前のホテルの制帽を着た、丁寧でいばっている客引きの数が多いことぐらいである。山川の景色は百年ぐらいたってもたいして年は取らないのである。
 草津電鉄で、駅と旧軽井沢との間に通称「白樺電車」というものを通わせている。いかにも軽井沢らしい象徴的な交通機関である。柱や手すりを白樺の丸太で作り、天井の周縁の軒ばからは、海水浴場のテントなどにあるようなびらびらした波形の布切れをたれただけで、車上の客席は高原の野天の涼風が自由に吹き抜けられるようにできている。天井裏にはシナふうのちょうちんがいくつもつるしてある。なんとなく子供のうれしがるようなぐあいにできている。そうして、子供を連れて乗ったおとなもつい子供のような気持になる、といったような奇態な電車である。柱の白樺の皮がはがれた所を同じ皮で繕って、その上に巻いたテープには「白樺の皮をだいじにしてください」と書いてある。なるほど、だれでもちょっとはがしてみたくなるものと見える。この車を引っぱる電気機関車がまた実に簡単で愉快なものである、大きな踏み台か、小さな地蔵堂のような格好をした鉄箱の中に機関手が収まっている。その箱の上に二本鉄棒を押し立てて、その頂上におもちゃの弓をつけたような格好のものである。それでもこれが通ると、途中の草原につながれて草をはんでいる馬が、びっくりしてぴょんぴょんはねるのである。
 旧軽井沢の町はユニークな見ものである。ちょっと見ると維新以前の宿場のような感じのする矮小な低い家並みの店先には、いわゆる「居留地」向きの雑貨のほかに、一九三三年の東京の銀座にあると同じような新しいものもあるのである。書店の棚にはギリシア語やヘブライ語の辞書までも見いだされる。聖書の講義もあればギャング小説もある。
 郵便局の横町にナンキン町がある。店にいて往来人をじろじろながめる人たちの顔つき目つきがどこかやはりちがう。なんとなくゲットーのような趣もある。周囲がみんななまけて金を使っている中でこの横町の人たちだけは懸命で働いて金をもうけているのである。
 このへんで道をきくと「これをまっすぐに、まっすぐに……」と言われるにきまっているらしい。まっすぐに行かれるように道ができているのである。
 ゴルフリンクの入り口でお茶を引いているキァデーの群れがしきりにクラブを振りまわしている。なんだか哀れである。昔とちがって今では貧民の子でも旧大名のお姫様のお供をして歩かれる。しかし日常生活の程度の相違は昔と同じか…

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