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ラヂオ漫談
ラジオまんだん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻96 大正」 作品社
1999(平成11)年2月25日
入力者加藤恭子
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-02-21 / 2014-09-18
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 東京に移つてから間もなくの頃である。ある夜本郷の肴町を散歩してゐると、南天堂といふ本屋の隣店の前に、人が黒山のやうにたかつてゐる。へんな形をしたラツパの口から音がきれぎれにもれるのである。
「ははあ! これがラヂオだな。」
と私は直感的に感じた。しかし暫らくきいてゐると、どうしても蓄音機のやうである。しかもこはれた機械でキズだらけのレコードをかけてる時にそつくりで、絶えずガリガリといふ針音、ザラザラといふ雑音が響いてくる。何か琵琶歌のやうなものをやつてるらしいが、唱に雑音がまじつて聴えるといふよりはむしろ雑音の中から歌が聴えるといふ感じである。
 ラヂオといふものを、大変ふしぎなもの、肉声がそのまま伝つてくるものと思つてゐた私は、この不自然な器械的の音声を、どうしてもラヂオとは思へなかつた。それにへんな形をしたラツパといふのも、蓄音機の電気拡声器として、以前から使はれてゐたものである。
「蓄音機だな?」
さう言つて私が連れの方を顧みた時、側にゐた四五人の男女が、いつせいに私を見つめた。その視線には、明らかに「田舎者め!」といふ皮肉な冷笑が浮んでゐた。じつさい田舎者であり東京に出たばかりの私は、ハツとして急にそこを立去つた。

 これが私の始めてラヂオを聞いた時の印象である。尤もその前から、非常な好奇心をもつて「まだ知らぬラヂオ」にあこがれてゐた。一度などは、浅草の何とかいふ珈琲店にラヂオがあるといふので、わざわざ詩人の多田不二君と聴きに行つた。前の南天堂の二階へも、ラヂオをきく目的で紅茶をのみに行つた。しかし運悪くどこでも機械が壊れてゐたり、時間がはづれたりして、いつも空しく帰つてきた。
 いつたい僕は、好奇心の非常に強い男である。何でも新しいもの、珍しいものが発明されたときくと、どうしても見聞せずには居られない性分だ。だから発声活動写真とか、立体活動写真などといふものがやつてくると、いちばん先に見物に行く。ジヤヅバンドの楽隊なども、文壇でいちばん先にかつぎ出したのは僕だらう。今の詩壇でも、たいていの新しい様式を暗示する先駆者は僕であり、それが新人の間で色々に発展して行く。
 話が余事に亘つたが、この新奇好き、発明好きの性分は、室生犀星君などと反対である。だから僕が、まだ聴かぬラヂオに夢中になつて騒いでる時、室生君がやつて来ては、よく頭ごなしに嘲笑した。室生君の説によると、ラヂオなんか俗物の聴くものださうである。さうした彼のラヂオ嫌ひも、一には彼の新奇嫌ひ――その性分は、支那古陶器などに対する彼の骨董癖と対照される。――によるのであらう。その後ラヂオの放送で、久米正雄氏等の文芸講座を拝聴したが、久米氏もやはり、かうした文明的新事物は厭ひなさうである。して見ると小説家といふものは、どつか皆共通の趣味をもつてるやうに思はれる。といふやうなことが、いつか頭の隅で…

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