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魚の序文
さかなのじょぶん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「ちくま日本文学全集 林芙美子」 筑摩書房
1992(平成4)年12月18日
入力者土屋隆
校正者林幸雄
公開 / 更新2006-11-09 / 2014-09-18
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 それだからと云って、僕は彼女をこましゃくれた女だとは思いたくなかった。
 結婚して何日目かに「いったい、君の年はいくつなの」と訊いてみて愕いた事であったが、二十三歳だと云うのに、まだ肩上げをした長閑なところがあった。
 ――その頃、僕達は郊外の墓場の裏に居を定めていたので、初めの程は二人共妙に森閑とした気持ちになって、よく幽霊の夢か何かを見たものだ。
「ねえ、墓場と云うものは案外美しいところなのね」
 朝。彼女は一坪ばかりの台所で関西風な芋粥をつくりながらこんな事を云った。
「結局、墓場は墓場だけのものさ、別に君の云うほどそんなに美しくもないねえ」
「随分あなたは白々としたもの云いをする人だ……そんな事云わぬものだわ」
 こうして、背後から彼女の台所姿を見ていると、鼠のような気がしてならない。だが、彼女は素朴な心から時に、僕にこう云ううたをつくって見せる事があった。
帰ってみたら
誰も居なかった
ひっそりした障子を開けると
片脚の鶴が
一人でくるくる舞っていた
坐るところがないので
私も片脚の鶴と一緒に
部屋の中を舞いながら遊ぶのだ。
「で、まだ君は心の中が寂しいとでも云うのかね」
 僕は心の中ではこの詩に感服していながら、ちょっとここのところがこざかしいと云えば云える腹立たしさで、彼女をジロリと睨んだ。
「ううん、墓の中の提灯を見ていたら、ふとこんな気持ちになったンですよ。……別に本当の事なンか出やしないわ。だって、こんなの、まるで河のほとりに立って何か唄っているようなの……ねえ、その気持ち判るでしょう」
「判らないねえ、僕はうたよみじゃないから……」
「そう、そうなの……」
 本当を云えば、初め、僕は彼女を愛しているのでも何でもなかったのだ。彼女だって、僕と一緒になるなんぞ夢にも思わなかったろうし、結婚の夜の彼女が、「済まないわ……」と一言漏した言葉があった。どんな意味で云ったのか、僕だけの解釈では、僕以外の誰かに、済まなさを感じていたのであろう。――僕は彼女を知る前に、一人の少女を愛していた。骨格が鋭く、眼は三白眼に近い。名は百合子と云った。歩く時は、いつも男の肩に寄り添っていなければ気が済まないらしく、それがこの少女の魅力でもあった。
「とうとうお菊さんと結婚なすったンですってね。三吉さんもなかなか隅におけない」
 黄昏の街の途上で会った時、百合子はチラと責めるように僕を視てこう云ったが、歩きながら、例のように百合子は肩をさし寄せて、香料の匂いを運んで来る。だが、おかしい事には再会するまでのあの切なさも、ふと行きずりにこうして並んでみると、夫婦になってからもなお遠く離れて歩く菊子の方が、僕には変に新しい魅力となって来ているのに気がつくのであった。
 結婚して苔に湧く水のような愛情を、僕達夫婦は言わず語らず感じあっていたのだが、それでもまだ、長い間の…

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