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熊の足跡
くまのあしあと
作品ID18326
著者徳冨 蘆花
文字遣い旧字旧仮名
底本 「現代紀行文学全集 北日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
入力者林幸雄
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2005-09-06 / 2014-09-18
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    勿來

 連日の風雨でとまつた東北線が開通したと聞いて、明治四十三年九月七日の朝、上野から海岸線の汽車に乘つた。三時過ぎ關本驛で下り、車で平潟へ。
 平潟は名だたる漁場である。灣の南方を、町から當面の出島をかけて、蝦蛄の這ふ樣にずらり足杭を見せた棧橋が見ものだ。雨あがりの漁場、唯もう腥い、腥い。靜海亭に荷物を下ろすと、宿の下駄傘を借り、車で勿來關址見物に出かける。
 町はづれの隧道を、常陸から入つて磐城に出た。大波小波[#挿絵]々と打寄する淋しい濱街道を少し往つて、唯有る茶店で車を下りた。奈古曾の石碑の刷物、松や貝の化石、畫はがきなど賣つて居る。車夫に鶴子を負つてもらひ、余等は滑る足元に氣をつけ/\鐵道線路を踏切つて、山田の畔を關跡の方へと上る。道も狹に散るの歌に因むで、芳野櫻を澤山植ゑてある。若木ばかりだ。路、山に入つて、萩、女郎花、地楡、桔梗、苅萱、今を盛りの滿山の秋を踏み分けて上る。車夫が折つてくれた色濃い桔梗の一枝を鶴子は握つて負られて行く。
 濱街道の茶店から十丁程上ると、關の址に來た。馬の脊の樣な狹い山の上のやゝ平凹になつた鞍部、八幡太郎弓かけの松、鞍かけの松、など云ふ老大な赤松黒松が十四五本、太平洋の風に吹かれて、翠の梢に颯々の音を立てゝ居る。五六百年の物では無い。松の外に格別古い物はない。石碑は嘉永のものである。茶屋がけがしてあるが、夏過ぎた今日、もとより遊人の影も無く、茶博士も居ない。弓弭の清水を掬んで、弓かけ松の下に立つて眺める。西は重疊たる磐城の山に雲霧白く渦まいて流れて居る。東は太平洋、雲間漏る夕日の鈍い光を浮べて唯とろりとして居る。鰹舟の櫓拍子が仄かに聞こえる。昔奧州へ通ふ濱街道は、此山の上を通つたのか。八幡太郎も花吹雪の中を馬で此處を通つたのか。歌は殘つて、關の址と云ふ程の址はなく、松風ばかり颯々と吟じて居る。人の世の千年は實に造作もなく過ぎて了ふ。茫然と立つて居ると、苅草を背一ぱいにゆりかけた馬を追うて、若い百姓が二人峠の方から下りて來て、余等の前を通つて、また向の峯へ上つて往つた。
 日の暮に平潟の宿に歸つた。湯はぬるく、便所はむさく、魚は鮮しいが料理がまづくて腥く、水を飮まうとすれば潟臭く、加之夥しい蚊が眞黒にたかる。早々蚊帳に逃げ込むと、夜半に雨が降り出して、頭の上に漏つて來るので、遽てゝ床を移すなど、わびしい旅の第一夜であつた。

    淺蟲

 九月九日から十二日まで、奧州淺蟲温泉滯留。
 背後を青森行の汽車が通る。枕の下で、陸奧灣の緑玉潮がぴた/\言ふ。西には青森の人煙指す可く、其背に津輕富士の岩木山が小さく見えて居る。
 青森から藝妓連の遊客が歌うて曰く、一夜添うてもチマはチマ。
 五歳の鶴子初めて鴎を見て曰く、阿母、白い烏が飛んで居るわねえ。
 旅泊のつれ/″\に、濱から拾うて來た小石で、子供一人成人二…

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