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作家の像
さっかのぞう
作品ID18359
著者太宰 治
文字遣い新字新仮名
底本 「太宰治全集10」 ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年6月27日
初出「都新聞 第一八八二五号~一八八二七号」1940(昭和15)年3月25日~27日
入力者土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-09-16 / 2016-07-12
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 なんの随筆の十枚くらい書けないわけは無いのであるが、この作家は、もう、きょうで三日も沈吟をつづけ、書いてはしばらくして破り、また書いては暫くして破り、日本は今、紙類に不足している時ではあるし、こんなに破っては、もったいないと自分でも、はらはらしながらそれでも、つい破ってしまう。
 言えないのだ。言いたいことが言えないのだ。言っていい事と言ってはならぬ事との区別が、この作家に、よくわからないのである。「道徳の適性」とでもいうべきものが、未だに呑み込めて居ない様子なのである。言いたい事は、山ほど在るのだ。実に、言いたい。その時ふと、誰かの声が聞える。「何を言ったって、君、結局は君の自己弁護じゃないか。」
 ちがう! 自己弁護なんかじゃ無いと、急いで否定し去っても、心の隅では、まあそんな事に成るのかも知れないな、と気弱く肯定しているものもあって、私は、書きかけの原稿用紙を二つに裂いて、更にまた、四つに裂く。
「私は、こういう随筆は、下手なのでは無いかと思う。」と書きはじめて、それからまた少し書きすすめていって、破る。「私には未だ随筆が書けないのかも知れない。」と書いて、また破る。「随筆には虚構は、許されないのであって、」と書きかけて、あわてて破る。どうしても、言いたい事が一つ在るのだが、何気なく書けない。
 目的の当の相手にだけ、あやまたず命中して、他の佳い人には、塵ひとつお掛けしたくないのだ。私は不器用で、何か積極的な言動に及ぶと、必ず、無益に人を傷つける。友人の間では、私の名前は、「熊の手」ということになっている。いたわり撫でるつもりで、ひっ掻いている。塚本虎二氏の、「内村鑑三の思い出」を読んでいたら、その中に、
「或夏、信州の沓掛の温泉で、先生がいたずらに私の子供にお湯をぶっかけられた所、子供が泣き出した。先生は悲し相な顔をして、『俺のすることは皆こんなもんだ、親切を仇にとられる。』と言われた。」
 という一章が在ったけれど、私はそれを読んで、暫時、たまらなかった。川の向う岸に石を投げようとして、大きくモオションすると、すぐ隣に立っている佳人に肘が当って、佳人は、あいたた、と悲鳴を挙げる。私は冷汗流して、いかに陳弁しても、佳人は不機嫌な顔をしている。私の腕は、人一倍長いのかも知れない。
 随筆は小説と違って、作者の言葉も「なま」であるから、よっぽど気を付けて書かない事には、あらぬ隣人をさえ傷つける。決してその人の事を言っているのでは無いのだ。大袈裟な言いかたをすれば、私はいつでも、「人間歴史の実相」を、天に報告しているのだ。私怨では無いのだ。けれども、そう言うとまた、人は笑って私を信じない。
 私は、よっぽど、甘い男ではないかと思う。謂わば、「観念野郎」である。言動を為すに当って、まず観念が先に立つ。一夜、酒を呑むに当っても、何かと理窟をつけて呑んでいる。…

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