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鎮西八郎
ちんぜいはちろう
作品ID18383
著者楠山 正雄
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の英雄伝説」 講談社学術文庫、講談社
1983(昭和58)年6月10日
入力者鈴木厚司
校正者今井忠夫
公開 / 更新2004-02-09 / 2014-09-18
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 八幡太郎義家から三代めの源氏の大将を六条判官為義といいました。為義はたいそうな子福者で、男の子供だけでも十四五人もありました。そのうちで一番上のにいさんの義朝は、頼朝や義経のおとうさんに当たる人で、なかなか強い大将でしたけれど、それよりももっと強い、それこそ先祖の八幡太郎に負けないほどの強い大将というのは、八男の鎮西八郎為朝でした。
 なぜ為朝を鎮西八郎というかといいますと、それはこういうわけです。いったいこの為朝は子供のうちからほかの兄弟たちとは一人ちがって、体もずっと大きいし、力が強くって、勇気があって、世の中に何一つこわいというもののない少年でした。それに生まれつき弓を射ることがたいそう上手で、それこそ八幡太郎の生まれかわりだといわれるほどでした。それどころか、八幡太郎は弓の名人でしたけれど、人並みとちがった強い弓を引くということはなかったのですが、為朝は背の高さが七尺もあって、力の強い上に、腕が人並みより長く、とりわけ左の手が右の手より四寸も長かったものですから、並みの二倍もある強い弓に、二倍もある長い矢をつがえては引いたのです。ですから為朝の射る矢は、並みの人の矢がやっと一町か二町走るところを五町も六町の先まで飛んで行き、ただ一矢で敵の三人や四人手負わせないことはないくらいでした。
 こんなふうですから、子供の時から強くって、けんかをしても、ほかの兄弟たちはみんな負かされてしまいました。兄弟たちは為朝が半分はこわいし、半分はにくらしがって、何かにつけてはおとうさんの為義の所へ行っては、八郎がいけない、いけないというものですから、為義もうるさがって、度々為朝をしかりました。いくらしかられても為朝は平気で、あいかわらず、いたずらばかりするものですから、為義も困りきって、ある時、
「お前のような乱暴者を都へ置くと、今にどんなことをしでかすかわからない。今日からどこへでも好きな所へ行ってしまえ。」
 といって、うちから追い出してしまいました。その時為朝はやっと十三になったばかりでした。
 うちから追い出されても、為朝はいっこう困った顔もしないで、
「いじのわるいにいさんたちや、小言ばかりいうおとうさんなんか、そばにいない方がいい。ああ、これでのうのうした。」
 と心の中で思って、家来もつれずたった一人、どこというあてもなく運だめしに出かけました。

     二

 国々を方々めぐりあるいて、為朝はとうとう九州に渡りました。その時分九州のうちには、たくさんの大名があって、めいめい国を分け取りにしていました。そしてそのてんでんの国にいかめしいお城をかまえて、少しでも領分をひろめようというので、お隣同士始終戦争ばかりしあっていました。
 為朝は九州に下ると、さっそく肥後の国に根城を定め、阿蘇忠国という大名を家来にして、自分勝手に九州の総追捕使…

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