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幣束から旗さし物へ
へいそくからはたさしものへ
作品ID18394
著者折口 信夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 2」 中央公論社
1995年3月10日
初出「土俗と伝説 第一巻第一・二号」1918(大正7)年8月、9月
入力者門田裕志
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2005-09-30 / 2014-09-18
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

千年あまりも前に、我々の祖先の口馴れた「ある」と言ふ語がある。「産る」の敬語だと其意味を釈き棄てたのは、古学者の不念であつた。私は、ある必要から、万葉集に現れたゞけの「ある」の意味をば、一々考へて見た処、どれも此も、存在の始まり、或は続きといふ用語例に籠つて了うて、一つとして「産る」と飜さねば不都合だと言ふ場合には、出くはさずにすんだ。かの語を「産る」と説くのは、主に賀茂のみあれに惹かれた考へであるが、実の処みあれ其物が、存在を明らかに認める、即、出現と言ふ意に胚胎せられた語だと信じられる。
此事は柳田国男先生も既に考へて(山島民譚集)居られる。尤、神或は神なる人にかけて、常に使ひ馴れた為、自然敬意を離れては用ゐる事は無くなつてゐた。其一類の語に「たつ」と言ふのがある。現在完了形をとつたものは、「向ひの山に月たゝり見ゆ(万葉巻七)」など言ふ文例を止めて居る。此語は単に、今か以前かに標準を据ゑて、進行動作を言ふだけのものではなく、確かに「出現」の用語例を持つて居た。文献時代に入つては、月たち・春たつなどに纔かに、俤を見せて居たばかりで、敬語の意識は夙くに失はれてゐる。
諏訪上社の神木に、桜たゝい木・檀たゝい木・ひくさたゝい木・橡の木たゝい木・岑たゝい木・柳たゝい木・神殿松たゝい木があり、たゝいは「湛」の字を宛てる由、尾芝古樟氏(郷土研究三の九)は述べられた。此等七木は、桜なり、柳なりの神たゝりの木と言ふ義が忘れられた物である。大空より天降る神が、目的と定めた木に憑りゐるのが、たゝるである。即、示現して居られるのである。神の現り木・現りの場は、人相戒めて、近づいて神の咎めを蒙るのを避けた。其為に、たゝりのつみとも言ふべき内容を持つた語が、今も使ふたゝり(祟)の形で、久しい間、人々の心に生きて来たのである。
神に手芸の道具を献る事は、別に不思議でも無いが、線柱の一品だけは、後世臼が神座となり易い様に、ひよつとすれば、神のたゝりのよすがとなつた物かも知れぬ。絡[#挿絵]・臥機が夢に神憑りを現ずる事、姫社の由来(肥前風土記)にある。機は、同じ機道具の縁に引かれたのかと思ふ。
神のあれのよすがとなる物が、阿礼・みあれと呼ばれた事は、説明は要すまい。今日阿礼の事を書いた物は、すべて此語に言語情調の推移のあつた、後期王朝に出来てゐる。
賀茂祭りに、みあれに(としての意)立てた奥山の榊は、かなり大きな立ち木を採り(賀茂旧記)用ゐた根こじの物であつたらう。そして、種々の染め木綿を垂でる事が、あれとしての一つの条件であつたらしい。此際、内蔵寮から上社・下社へ、阿礼の料として、五色の帛六疋、阿礼を盛る筥八合並びに、布の綱十二条を作る料として、調布一丈四尺を出す(内蔵式)ことになつてゐる。其綱はみあれを舁ぐ時に、其傾く事を調節する為に、つけたものと思はれぬでも無いが、…

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