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「青白き夢」序
「あおじろきゆめ」じょ
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「青白き夢」 新潮社
1918(大正7)年3月15日
初出「文章世界」1918(大正7)年7月3日
入力者小林徹
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-12-17 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 おしづさんが安倍能成君の紹介で、阿母さんに連れられて私の許へ來たのは、今から恰度六年前の春の末だつたらうと記憶してゐます。何でも其當座は毎日のやうに遣つて來ました。それは長い間の病院生活の後で、たとへ松葉杖をついてなりとも人中へ出られると云ふ物珍らしさと、一つは文學で身を立てようと思ふうら若い女の一心からであつたのでせう。朝の間に來て、一日私の宅で遊んで居て、晩に歸る。別に私の宅でも構ひはしない。夕食後の散歩がてら番町の自宅まで送つて行つて上げたこともありました。靖國神社の裏のベンチの上で休んで居ると散り際の櫻の枝頭に殘つて居るのが眼に留まりました。私は松葉杖を傍に置いて、がつくりとベンチの上に凭れかゝつたおしづさんの姿と、其色の褪せた櫻とが妙に一緒に成つて、私の記憶に殘つてゐます。だからおしづさんが私の宅へ來たのは春の末でした。そして、年は十九の春の末でした。
 前の年の春札幌の女學校を卒業すると同時に、結核性の關節炎に罹つて、療養のために上京して、其年の冬いよ/\右の足を切斷した。で、病院を出た時はもう松葉杖の助けを借らなければ一歩も外出の叶はない身に成つて居たのである。健康體に復したと云ふものゝ、普通の健康體ではない。阿母さんの云はれるには、これもこんな身體に成つて、もう女として人並に家庭生活を營むことも出來ない。これからは文學に專念して、浮世の事は忘れて暮すやうにして遣りたいと――其時、おしづさんも阿母さんの考へて居られるやうに考へて居たか何うかは知らない。併し私までがおしづさんを一生獨身主義を通す女として、常處女であるべく生れた女として受け取つたのは、全く愚であつた。愚であるばかりでなく、丸切り思ひ遣りと云ふものゝない、自分の趣味からばかり相手を眺めて――さうです、それは確かに私の趣味でした、同情でありませんでした――人の心に這入つて行くことの出來ない殘忍なエゴイズムでした。若し強ひて辯解すれば、私自身も若かつたのでした。
 が、幸ひなことに、其愚は間もなく悟りました。私は温かな傍觀的態度で靜かにおしづさんの生長を見守ることが出來るやうに成りました。其間おしづさんは一日でも惜しまれるやうに、せつせと創作しては、私の許へ持つて來ました。處女作『松葉杖をつく女』にあゝ云ふ表題を附したのは私のジヤアナリズムでした。これは故人の名譽のために斷つて置きたい。つまり少しでも此作に世人の注意を向けたいと云ふ善意のジヤアナリズムでした。第二作『三十三の死』は明くる年の正月の新小説に載せられた。處女作も心ある人の注意を惹いたが、此作に到つておしづさんは女流作家としての立場を確實に握るやうに成りました。おしづさんは、始めて私の宅へ來出した時、恰度私が三十三であつたので、自分も、先生の歳まで生きられゝば、それで思ひ殘すところはないと云ひ/\して居ましたが、女の大厄であ…

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