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中西氏に答う
なかにししにこたう
作品ID1861
著者平林 初之輔
文字遣い旧字新仮名
底本 「日本現代文學全集69 プロレタリア文學集」 講談社
1969(昭和44)年1月19日
入力者田中亨吾
校正者大野裕
公開 / 更新2000-11-10 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 前掲「文藝運動と勞働運動」の一文句に對して中西伊之助氏が「種蒔く人」八月號で猛烈に批難された。これはそれに對する回答である。讀者の中にも同じような疑問をもたれる人があるかも知れぬと思つて轉載する。
 
 大抵の批難には默つていられる程僕も修業をつんできた。「文藝運動と勞働運動」に對する中西氏の批評も相手が別人なら有難くお受けしておいて差支えないのである。併し相手が日本に於ける勞働運動の一先覺者であり、プロレタリヤ運動の一鬪士であり多くの點に於て僕等の先覺と信じて疑わざる中西伊之助氏であつて、しかも、氏の批評が、或は懇々として教え、或は嚴然として叱正し、或は浩然として歎息され、凡ゆる點に於て親切を極め、好意に滿ちたものである以上、そして最後にあまりに甚だしい誤解である以上、おまけに編輯者からわざわざ僕の手許まで中西氏の原稿が廻送された以上一言挨拶して中西氏の誤解を解く責任があるように感じられる。
 問題の文句は「社會主義運動の中に働くことの嫌いなごろつきや食いたおしがまじりこむと同じように――」という一句である。僕は急いで原稿を書くので、これまでにあとから訂正したくなるような不用意な文句を書いたことは屡[#挿絵]ある。併し、この一節は今でも少しも訂正する必要を感じない。文字通りの意味で今なおそう信じているのである。ところが誰が讀んでもわかりきつた平明の文句の中から、中西氏は一ダースばかりのすばらしい概念をひつぱり出された。何にもない袖の中から一ダースも卵を出して見せる手品師のように。
 中西氏はまず、この文句を讀んで「何というブルジョア的な口吻だろう!」と概括的な第一矢を投げつけ、次に僕(平林)が「ブルジョア的眼光をもつて今の社會運動を見て」いるものと斷定し、「僕等(中西氏)プロレタリヤの感情からすれば到底そんな輕薄な概念で片づけてしまうに忍びない」と自らの立場を表明され、一轉して、僕の例の文句を「失業勞働者」「餓死か破壞か二中一を選ばなければならない悲しい人々」を意味するのだと獨斷し、この獨斷を僕に無雜作になすりつけて、なすりつけられた泥人形の「平林」に向つて「平林君は果してその人々を指してごろつきと言い食い倒しという理由を見出すことが出來るか?」と色を作してきめつけられる。かくして泥人形の「平林」は參つた。生きた人間の平林は參らぬ代りに自分が「泥人形」でないということをわざわざ辯明する「責任」を背負わされた。僕が、中西氏のいうように「現實」を見損つて「輕薄な概念」に走つたか、或は中西氏が周章てて千慮の一失の誤解をやられたかは何人の判斷にでも僕はまかせる。
 實を言うと辯明するよりもあの文章をもう一度讀み直していただくだけの勞力をおしまれなかつたら誤解は氷釋する筈だ。僕は「失業勞働者」と「ごろつき」とを混同する程の血迷い方は決してしなかつたつもりだ。中西氏…

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