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女肉を料理する男
じょにくをりょうりするおとこ
作品ID1876
著者牧 逸馬
文字遣い新字新仮名
底本 「浴槽の花嫁-世界怪奇実話1」 現代教養文庫、社会思想社
1975(昭和50)年6月15日
入力者大野晋
校正者原田頌子
公開 / 更新2002-02-13 / 2014-09-17
長さの目安約 52 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        1

 人気が荒いので世界的に有名なロンドンの東端区に、ハンベリイ街という町がある。凸凹の激しい、円い石畳の間を粉のような馬糞の藁屑が埋めて、襤褸を着た裸足の子供たちが朝から晩まで往来で騒いでいる、代表的な貧民窟街景の一部である。両側は、アパアトメントをずっと下等にした、いわゆる貸間長屋というやつで、一様に同じ作りの、汚点だらけの古い煉瓦建てが、四六時中細民街に特有な、あの、物の饐えたような、甘酸っぱい湿った臭いを発散させて暗く押し黙って並んでいる。No. 29 の家もその一つで、円門のような正面の入口を潜ると、すぐ中庭へ出るようにできていた。この中庭から一つ建物に住んでいる多数の家族がめいめいの借部屋へ出入りする。だから、庭の周囲にいくつも戸口があって、直接往来にむかっているおもての扉は夜間も開け放しておくことになっていた。
 この界隈は、労働者や各国の下級船員を相手にする、最下層の売春婦の巣窟だった。といっても、日本のように一地域を限ってそういう女が集まっているわけではなく、女自身が単独ですることだから、一見普通の町筋となんらの変わりもないのだが、いわば辻君の多く出没する場所で、女たちは、芝居や寄席のはじまる八時半ごろから、この付近の大通りや横町を遊弋して[#「遊弋して」は底本では「遊戈して」]、街上に男を物色する。そして、相手が見つかると、たいがいそこらの物蔭で即座に取引してしまうのだが、契約次第では自室へもともなう。ハンベリイ街二九番の家には、当時この夜鷹がだいぶ間借りしていたので、それらが夜中に客をくわえ込む便宜のために、おもての戸は夜じゅう鍵をかけずにおくことになっていたのだ。つまり、中庭までだれでも自由に出入りできるわけである。
 九月八日の深夜だった。
 秋の初めで、ロンドンはよく通り雨が降る。その晩も夜中にばらばらと落ちてきたので、三階に住んでいる一人のおかみさんが、乾し忘れたままになっている洗濯物のことを思い出した。洗濯物は、イースト・エンドではどこでもそうやるのだが、窓から窓へ綱を張って、それへ乾すのだ。で、おかみさんは、雨の音を聞くとあわてて飛び起きて、中庭に面した窓を開けた。小雨が降っていたくらいだから真闇な晩だったが、庭へはいろうとする石段の上に、二つの人影がなにか争っているのを認めた。それはふざけ半分のものらしかった。女が低声で、笑いながら「いいえ、いけません。いやです」と言うのが聞えた。相手は男で、異様に長い外套を着ているのが見えた。が、前にも言うとおり、この辺は風儀の悪いところで、真夜中にこんな光景を見るのは珍らしいことではなかった。また、だれかこの家に部屋を借りている女が男を引っ張ってきて、帰る帰さないで、入口で言い争っているのだろう。こう思って、おかみさんはべつに気に留めなかった。しばらくして争いも止まっ…

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