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舞馬
ぶま
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本探偵小説全集11 名作集1」 創元推理文庫、東京創元社
1996(平成8)年6月21日
初出「新青年」1927(昭和2)年10月号
入力者大野晋
校正者noriko saito
公開 / 更新2005-08-01 / 2014-09-18
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

          1

 植峰――植木屋の峰吉というよりも、消防の副小頭として知られた、浅黒いでっぷりした五十男だった。雨のことをおしめりとしか言わず、鼻のわきの黒子に一本長い毛が生えていて、その毛を浹々と洗湯の湯に浮かべて、出入りの誰かれと呵々大笑する。そうすると、春ならば笑い声は窓を抜けて低く曇った空に吸われるであろうし、秋ならば、横の露路に咲いたコスモスのおそ咲きに絡まる。
「入湯の際だがね、このコスモスてえ花は――」と峰吉は矢鱈に人をつかまえて講釈をするのだ。コスモス――何という寂然たる病的な存在だろう。こいつを土に倒しておくと、茎から白い根が生える。まるで都会の恋人の神経みたいな。と、もし峰吉に表現の能力があったら言ったかも知れない。そして、湯に浮んだ一筋の毛をゆらら、ゆららと動かすことによって、窓から映っている蒼空の色を砕く。とにかく、俳境のようなものを自得しつつある峰吉だった。だから、峰吉は峰吉以外の何ものでもなかったし、またこの眠っている町の消防の副小頭以外の何ものでもあり得なかったのである。
 さて、この植峰がお八重の前借を払って、お八重を長火鉢のむこうに据えてから三年ほど経った。長火鉢はおっかあ――一ばんに植峰のおっかあと呼ばれていた死んだ峰吉の女房の手垢で黒く光っていたが、お八重ははじめのうち、それをひどく嫌がった。なぜ嫌がったかというと、これによって峰吉が前の妻を思い出すことを懼れるほど、それ程お八重は峰吉に惚れて――愛という相対的なものよりも惚れるという一方的な感情のほうを問題にする人たちだった――いたのか、あるいは、そうして惚れているらしく見せかけようとしたお八重のこんたんか、どっちかだったろう。こういうといかにもお八重が近代的なうそつきで、どんな若紳士の恋のお相手でも勤まりそうに聞えるけれど、言わばこんな技巧は、お八重が無意識のあいだに習得した手練手管の一つなのであって、早くいえばお八重は、投げ入れの乾からびている間の宿、といった感じのする、埃りの白っぽい隣の町で長いこと酌婦奉公をしていた。
 このお八重である。長火鉢のことはそれでよかったが、もう三年にもなるのに、峰吉の落胆にまで子供がなかった。もっとも子供は前の女房にもなかったので、峰吉は半ば以上諦めてはいたものの、それでも祭の日なんかに肩上げのした印絆纏を着て頭を剃った「餓鬼」を見ると、峰吉は、植峰の家もおれでとまりだなあと思ったりした。この、子供がないがために、養子とも居候ともつかない茂助が、お八重のはいるまえから、植峰の家にごろごろしていたのだが、茂助は茂助で、いまは十八から十九になろうとして、お湯屋の番台のおとめちゃんを思って、一日に二度も「入湯」して、そしててかてか光る顔ににきびを一ぱい吹き出さしていた。
「えんやらや、やれこうのえんやらや――」といったわけで、茂…

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