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九月十四日の朝
くがつじゅうよっかのあさ
作品ID1902
著者正岡 子規
文字遣い旧字旧仮名
底本 「日本の名随筆19 秋」 作品社
1984(昭和59)年5月25日
入力者渡邉つよし
校正者浦田伴俊
公開 / 更新2000-12-12 / 2014-09-17
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 朝蚊帳の中で目が覺めた。尚半ば夢中であつたがおい/\といふて人を起した。次の間に寝て居る妹と、座敷に寐て居る虚子とは同時に返事をして起きて來た。虚子は看護の爲にゆふべ泊つて呉れたのである。雨戸を明ける。蚊帳をはづす。此際余は口の内に一種の不愉快を感ずると共に、喉が渇いて全く濕ひの無い事を感じたから、用意の爲に枕許の盆に載せてあつた甲州葡萄を十粒程食つた。何ともいへぬ旨さであつた。金莖の露一杯といふ心持がした。斯くてやう/\に眠りがはつきりと覺めたので、十分に體の不安と苦痛とを感じて來た。今人を呼び起したのも勿論それだけの用はあつたので、直ちにうちの者に不淨物を取除けさした。余は四五日前より容態が急に變つて、今迄も殆ど動かす事の出來なかつた兩脚が俄に水を持つたやうに膨れ上つて一分も五厘も動かす事が出來なくなつたのである。そろり/\と臑皿の下へ手をあてがうて動かして見やうとすると、大盤石の如く落着いた脚は非常の苦痛を感ぜねばならぬ。余は屡種々の苦痛を經験した事があるが、此度の様な非常な苦痛を感ずるのは始めてゞある。それが爲に此二三日は余の苦しみと、家内の騒ぎと、友人の看護旁訪ひ來るなどで、病室には一種不穩の徴を示して居る。昨夜も大勢來て居つた友人(碧梧桐、鼠骨、左千夫、秀真、節)は歸つてしまうて余等の眠りに就たのは一時頃であつたが、今朝起きて見ると、足の動かぬ事は前日と同じであるが、昨夜に限つて殆ど間斷なく熟睡を得た爲であるか、精神は非常に安穩であつた。顏はすこし南向きになつたまゝちつとも動かれぬ姿勢になつて居るのであるが、其儘にガラス障子の外を靜かに眺めた。時は六時を過ぎた位であるが、ぼんやりと曇つた空は少しの風も無い甚だ靜かな景色である。窓の前に一間半の高さにかけた竹の棚には葭簀が三枚許り載せてあつて、其東側から登りかけて居る絲瓜は十本程のやつが皆瘠せてしまうて、まだ棚の上迄は得取りつかずに居る。花も二三輪しか咲いてゐない。正面には女郎花が一番高く咲いて、鷄頭は其よりも少し低く五六本散らばつて居る。秋海棠は尚衰へずに其梢を見せて居る。余は病氣になつて以來今朝程安らかな頭を持て靜かに此庭を眺めた事は無い。嗽ひをする。虚子と話をする。南向ふの家には尋常二年生位な聲で本の復習を始めたやうである。やがて納豆賣が來た。余の家の南側は小路にはなつて居るが、もと加賀の別邸内であるので此小路も行きどまりであるところから、豆腐賣りでさへ此裏路へ來る事は極て少ないのである。それで偶珍らしい飲食商人が這入つて來ると、余は奬勵の爲にそれを買ふてやり度くなる。今朝は珍しく納豆賣りが來たので、邸内の人はあちらからもこちらからも納豆を買ふて居る聲が聞える。余も其を食ひ度いといふのでは無いが少し買はせた。虚子と共に須磨に居た朝の事などを話しながら外を眺めて居ると、たまに露でも落ちたかと思…

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