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鹿踊りのはじまり
ししおどりのはじまり
作品ID1923
著者宮沢 賢治
文字遣い新字旧仮名
底本 「校本 宮澤賢治全集第十一巻」 筑摩書房
1974(昭和49)年9月15日
初出「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」盛岡市杜陵出版部・東京光原社、1924(大正13)年12月1日
入力者OBaKe
校正者awatase
公開 / 更新2003-05-15 / 2023-07-06
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあひだから、夕陽は赤くなゝめに苔の野原に注ぎ、すすきはみんな白い火のやうにゆれて光りました。わたくしが疲れてそこに睡りますと、ざあざあ吹いてゐた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上の山の方や、野原に行はれてゐた鹿踊りの、ほんたうの精神を語りました。
 そこらがまだまるつきり、丈高い草や黒い林のままだつたとき、嘉十はおぢいさんたちと北上川の東から移つてきて、小さな畑を開いて、粟や稗をつくつてゐました。
 あるとき嘉十は、栗の木から落ちて、少し左の膝を悪くしました。そんなときみんなはいつでも、西の山の中の湯の湧くとこへ行つて、小屋をかけて泊つて療すのでした。
 天気のいゝ日に、嘉十も出かけて行きました。糧と味噌と鍋とをしよつて、もう銀いろの穂を出したすすきの野原をすこしびつこをひきながら、ゆつくりゆつくり歩いて行つたのです。
 いくつもの小流れや石原を越えて、山脈のかたちも大きくはつきりなり、山の木も一本一本、すぎごけのやうに見わけられるところまで来たときは、太陽はもうよほど西に外れて、十本ばかりの青いはんのきの木立の上に、少し青ざめてぎらぎら光つてかかりました。
 嘉十は芝草の上に、せなかの荷物をどつかりおろして、栃と粟とのだんごを出して喰べはじめました。すすきは幾むらも幾むらも、はては野原いつぱいのやうに、まつ白に光つて波をたてました。嘉十はだんごをたべながら、すすきの中から黒くまつすぐに立つてゐる、はんのきの幹をじつにりつぱだとおもひました。
 ところがあんまり一生けん命あるいたあとは、どうもなんだかお腹がいつぱいのやうな気がするのです。そこで嘉十も、おしまひに栃の団子をとちの実のくらゐ残しました。
「こいづば鹿さ呉でやべか。それ、鹿、来て喰」と嘉十はひとりごとのやうに言つて、それをうめばちさうの白い花の下に置きました。それから荷物をまたしよつて、ゆつくりゆつくり歩きだしました。
 ところが少し行つたとき、嘉十はさつきのやすんだところに、手拭を忘れて来たのに気がつきましたので、急いでまた引つ返しました。あのはんのきの黒い木立がぢき近くに見えてゐて、そこまで戻るぐらゐ、なんの事でもないやうでした。
 けれども嘉十はぴたりとたちどまつてしまひました。
 それはたしかに鹿のけはひがしたのです。
 鹿が少くても五六疋、湿つぽいはなづらをずうつと延ばして、しづかに歩いてゐるらしいのでした。
 嘉十はすすきに触れないやうに気を付けながら、爪立てをして、そつと苔を踏んでそつちの方へ行きました。
 たしかに鹿はさつきの栃の団子にやつてきたのでした。
「はあ、鹿等あ、すぐに来たもな。」と嘉十は咽喉の中で、笑ひながらつぶやきました。そしてからだをかゞめて、そろりそろりと、そつちに近よつて行きました。
 一むらのすすきの陰…

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