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可哀相な姉
かわいそうなあね
作品ID195
著者渡辺 温
文字遣い新字新仮名
底本 「アンドロギュノスの裔」 薔薇十字社
1970(昭和45)年9月1日
初出「新青年」1927(昭和2)年10月
入力者森下祐行
校正者もりみつじゅんじ
公開 / 更新2000-02-11 / 2014-09-17
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 1

 すたれた場末の、たった一間しかない狭い家に、私と姉とは住んでいた。ほかに誰もいなかった。私は姉と二人きりで、何年か前に、青い穏やかな海峡を渡って、この街へ来たのであった。
 そして姉が働いて私を育ててくれた。
 姉は、断っておくが、ほんとうの私の姉ではない。姉の母は、私の従姉である。私の父は姪に姉を生ませた。しかも姉は生まれ落ちてみると唖娘であった。
 だが、もう私達の父も、姉の母も、私の母もみんな死んでしまって、今はふるさとの海辺の丘に並んだ白い石であった。
 唖娘の姉と二人で久しい間暮していて、私達と往来する人はこの街に一人もいなかったし、私は一日中つんぼのように、誰の声をも聞かなかった。
 姉がどんなに私をいつくしんでくれたか! 姉は毎晩々々夜更けてから、血の気のない程に蒼ざめて帰って来、私にご飯を食べさせてくれた。
 姉はまた、私を抱いて寝てくれもした。私は、魚のように冷めたい姉の手足が厭であったけれども、それでもすなおな私は、姉の愛情にほだされて、何時でも泪ぐんで、姉の体を温めてやった。
 その中に姉は悪い病気に罹った。胸の悪くなるような匂が、姉の体から発散した。姉は、私にその病気が伝染するのを恐れて、もう一緒に寝るのは止してしまった。
 私は淋しく一人で寝た。そして一人で寝ている中に、何時の間にか大きい大人になった。

 2

 到頭、或る日姉は私が本当の大人になってしまったことを覚った。
 遊び友達のない私は、家の裏の木に登って、遠くの雲の中に聳え重なっている街を見ていた。すると姉は私の足をひっぱって、私を木から下ろしてしまった。
 姉は私のはいている小さな半ズボンをたくし上げた。
 姉はさて悲しい顔をして首を縦に振ってうなずいた。
 姉が首を縦に振ってうなずく場合には、我々普通の人間が首を横に振って、いやいやを、するのと同じ意味なのであった。彼女の愚な父と母とは、ひょっと誤って、幼い彼女にそんなアベコベを教えてしまったのだ。不具者のもちまえで、彼女は頑に、親の教えた過ちを信じて改めなかった。
 姉は幾度も私の脛を撫ぜて、幾度も首を縦に振った。
 ――姉さん。どうしたの?」と私は訊ねた。
 姉は長い間に、私と姉との仲だけに通じるようになった。精巧な手真似で答えた。
 ――ワタクシ、オマエガ、キライダ!」
 ――なぜです?」
 ――オマエハ、モウ、ソレヨリ、オオキクナッテハ、イケマセンヨ。」
 ――なぜです?」
 ――ワクシハ、オマエト、イッショニ、クラスコトガ、デキナクナルモノ。」
 ――なぜです?」
 姉は私の硯箱を持って来た。私は眼に一丁字もない彼女が何をするのかと、訝んだ。ところが姉は筆に墨をふくめて、いきなり私の顔へ、大きな眼鏡と髯とをかいた。それから私を鏡の前へつれて行った。
 ――立派な紳士ですね。」と私は鏡の中を見て云っ…

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