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まち
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第三巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年3月20日
初出「女性」1927(昭和2)年7月号
入力者柴田卓治
校正者米田進
公開 / 更新2002-10-27 / 2014-09-17
長さの目安約 39 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

        一

 一九一七年に、世界は一つの新しい伝説を得た。「ロシア革命」。当時、そのロシアに住んでいた者は、物心づいた子供から、老耄の一つ手前に達した年寄りまで、それぞれ一生の逸話を拾った。逸話は、いかにもこの国風な復活祭の卵のように色つきで、或る者のは白、或るもののは緑、或る者のは真赤だ。
 レオニード・グレゴリウィッチ・ジェルテルスキーはやっと商業学校を出たばかりの青年であった。彼の父親は小さい町の工業家で、革命の時、理由あってか、多くの間違いのうちの一つの間違いによってか殺されて、河の氷の下へ突込まれた。ジェルテルスキーは、それから、母親を五日鶏の箱へ詰めた経験、真直自分の額に向けられた拳銃の筒口を張り飛したので、銃玉が二月の樺の木の幹へ穴をあけた陰気な光景などを、彼の逸話として得た。
 一九二九年、ジェルテルスキーは彼の東京で二度目の冬を迎えた。勤めている或る週刊新聞社は、赤坂の電車通りに面して建っていた。水色のペンキで羽目板を塗り、白で枠を取った二階建ての粗末なバラックであった。階下が発送部で、階上が編輯室だ。誰かが少し無遠慮に階段を下りると、室じゅうが震えるその二階の一つの机、一台のタイプライターを、ジェルテルスキーは全力をつくして手に入れたのであった。
 薄曇りの午後、強い風が吹くごとに煙幕のような砂塵が往来に立った。窓硝子がガタガタ鳴った。洋袴のポケットへ両手を突こみ、社長が窓から外を眺めていた。
「フッ! 何という埃だ。――こんなやつあニガリ撒いた位じゃ利かないもんかな」
「――…………」
 誰も返事しなかった。編輯員の一人は、片手で髭を引っぱりながら熱心に露文和訳をしていた。向いの机で、邦字新聞から経済記事を他の一人が抄訳している。黒ビロードのルパシカを着たジェルテルスキーは、最も窓に近い卓子で露字新聞を読んでいた。彼は、社長の独言から、何という埃だ。利かないもんかな、などと云う言葉を理解した。小心なジェルテルスキーはその場合、一番彼に近くいる位置の関係から云っても、何とか一言親しみある言葉を与えたかった。然し、彼には適当な日本語が見つからない。――つまり彼も黙って、タイプライターを打ち始めた。
「最近地方図書館は著しき発達を遂げた。現在に於て地方図書館の数は六千五百を数えられている」
 外の往来をトラックが通るひどい音がし、ブルルル新聞社の建物全体が震動した。一人が思い出したように立って、室の隅の水道栓のところで含漱を始めた。社長は次の室へ去った。――
 階子口のところへ、給仕娘の顔が出た。
「ジェルテルスキーさん、御面会ですよ」
「だれです?」
「御婦人の方がお二人で下に待っていらっしゃいます」
 ジェルテルスキーは長い椅子からたちながら、金髪をかき上げ、水のような碧い眼を訝しげに動かした。柱時計は二時十五分を示している。ジ…

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