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二つの庭
ふたつのにわ
作品ID2011
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第六巻」 新日本出版社
1979(昭和54)年1月20日
初出「中央公論」1947(昭和22)年1、3~9月号
入力者柴田卓治
校正者松永正敏
公開 / 更新2002-10-18 / 2014-09-17
長さの目安約 398 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        一

 隣の家の篠竹が根をはって、こちらの通路へほそい筍を生やしている。そこの竹垣について曲ると、いつになく正面の車庫の戸があけはなされていた。自動車の掃除最中らしいのに、人の姿はなくて、トタン張りの壁に裸電燈が一つ、陰気にぼんやり灯っている。
 伸子はけげんそうな顔で内玄関へ通じるその石敷道を歩いて行った。すると、ゆずり葉の枝のさし出た内庭の垣の角から、ひょっこり江田が姿をあらわした。おさがりの細かい格子のハンティングをかぶって、ゴム長をはき、シャツの腕をまくり上げた手に大きいなめし革の艶出し雑巾をにぎっている。江田は、伸子を見ると、
「や、いらっしゃいまし」
 ハンティングをぬいで頭を下げた。
「こんにちは。――手入れ?」
 伸子はきいた。
「はあ。お留守のうちにすこし念入りにやって置こうと思いまして……」
「きょうは、事務所じゃないの?」
「ゆうべの急行で山形へお立ちになりました」
「あら! そうなの――」
 伸子は、がっかりした声を出した。
「きょうは、お父様のお誕生日だったのよ、だからと思って来たのに――」
 江田は、
「それゃ知りませんでしたな」
 律気者らしく伸子の失望した顔を見た。
「奥様はおいでですよ――お客様のようですが……」
「どなた?」
「さア……越智さんだと思いますが――」
 駒沢の奥からここまで来たことが一層つまらなく思われた。ハトロンに包んだ花を下げたまま、伸子はしばらくそこに立って江田が小型ビインの手入れをするのを見ていた。しばらくすると、江田が、
「伸子さま、ともかくお上りんなったらいかがです、そのうちにはお客さまもすむでしょうから」
といった。
「和一郎さんたちはいるのかしら」
「保さんがおいでです」
 伸子は、まわり道までして買って来たバラの花を飾る場所を失った心持で内玄関から上った。左手のドアがきっちりしまっている。そこは客室であった。いつもは華やかなよく響く調子で客と応待する母の声が、きょうはひとつも外へ洩れて来ない。不自然な気分で、伸子は廊下一つへだてた食堂の一方だけあいているドアから入った。
 寂びた赤うるしで秋の柿の実を、鉄やいぶした錫で面白く朽ち葉をあらわした火鉢に鉄瓶がかかっていた。炭がきれいにいかったまま白くたっている。部屋の気配は、ここにもう長い間坐っているひとがなかったことを感じさせた。
 女中が出て来て、
「いらっしゃいまし」
 よそのお客へするとおりのお辞儀をして、お茶をいれた。
「お父様山形なんだって?」
「さあ……」
 伸子が名もはっきり知らないその女中は、主人のゆくさきを知らないのは自分の責任ではないという風に、からだをよじった。
「ゆうべ、お立ちになったことはなったんでしょう」
「はあ……」
「まあ、いいわ、ありがとう」
 畳の上に絨毯をしき、坐って使う大テーブルを中央に据…

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