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うづしほ
うずしお
作品ID2075
原題A DESCENT INTO THE MAELSTROM
著者ポー エドガー・アラン
翻訳者森 鴎外 / 森 林太郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「鴎外選集 第15巻」 岩波書店
1980(昭和55)年1月22日
初出「文藝倶楽部 一六ノ一一」1910(明治43)年8月1日
入力者tatsuki
校正者土屋隆
公開 / 更新2009-02-10 / 2014-09-21
長さの目安約 41 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 二人で丁度一番高い岩山の巓まで登つた。老人は数分間は余り草臥れて物を云ふことが出来なかつた。
 とう/\かう云ひ出した。
「まだ余り古い事ではございません。わたくしは不断倅共の中の一番若い奴を連れて、この道を通つて、平気でこの岩端まで出たものです。だからあなたの御案内をしてまゐつたつて、こんなに草臥れる筈ではないのです。それが大約三年前に妙な目に逢つたのでございますよ。多分どんな人間でもわたくしより前にあんな目に逢つたものはございますまい。よしやそんな人があつたとしても、それが生き残つてゐはしませんから、人に話して聞かすことはございますまい。そのときわたくしは六時間の間、今死ぬか今死ぬかと思つて気を痛めましたので、体も元気も台なしになつてしまひました。あなたはわたくしを大変年を取つてゐる男だとお思ひなさいますでございませうね。所が、実際さうではございませんよ。わたくしの髪の毛は黒い光沢のある毛であつたのが、たつた一日に白髪になつてしまつたのでございます。その時手足も弱くなり神経も駄目になつてしまひました。今では少し骨を折れば、手足が顫えたり、ふいと物の影なんぞを見て肝を潰したりする程、わたくしの神経は駄目になつてゐるのでございます。この小さい岩端から下の方を見下ろしますと、わたくしは眩暈がしさうになるのでございます。はたから御覧になつては、それほど神経を悪くしてゐるやうには見えますまいが。」
 その小さい岩端といつた所に、その男は別に心配らしい様子もなく、ずつと端の所へ寄つて横になつて休んでゐる。体の重い方の半分が重点を岩端を外れて外に落してゐる。つる/\滑りさうな岩の縁に両肘を突いてゐるので、その男の体は落ちないでゐるのである。
 その小さい岩端といふのは、嶮しい、鉛直に立つてゐる岩である。その岩は黒く光る柘榴石である。それが底の方に幾つともなく簇がつてゐる岩の群を抜いて、大約一万五千呎乃至一万六千呎位真直に立つてゐるのである。僕なんぞは誰がなんと云つても、その縁から一二尺位な所まで体を覗けることは出来ないのである。連の男の危ない所にゐるのが気になつて、自分までが危なく思はれるので、僕は土の上に腹這ひになつて、そこに生えてゐる灌木を掴んでゐた。下を見下すどころではない。上を向いて空を見るのも厭である。どうも暴風が吹いて来てこの山の根の方を崩してしまひはすまいかと思はれてならない。僕はさういふ想像を抑制することを力めてゐるのに、又してもその想像が起つてならない。自分で自分の理性に訴へて、自分で自分の勇気を鼓舞して、そこに坐つて遠方を見ることが出来るやうになるまでには余程時間が掛かつた。
 僕を連れて来た男がかう云つた。
「なんでも危ないといふやうな心持を無くしておしまひなさらなくてはいけません。わたくしの只今申したやうに、不思議な目に逢つた場所を、あなたが…

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