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一足お先に
ひとあしおさきに
作品ID2111
著者夢野 久作
文字遣い新字新仮名
底本 「夢野久作全集8」 ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年1月22日
入力者柴田卓治
校正者山本奈津恵
公開 / 更新2001-06-16 / 2014-09-17
長さの目安約 82 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

……聖書に曰く「もし汝の右の眼、なんじを罪に陥さば、抉り出してこれを棄てよ……もし右の手、なんじを罪に陥さばこれを断り棄てよ。蓋、五体の一つを失うは、全身を地獄に投げ入れらるるよりは勝れり」と……。
……けれどもトックの昔に断り棄てられた、私の右足の幽霊が私に取り憑いて、私に強盗、強姦、殺人の世にも恐ろしい罪を犯させている事がわかったとしたら、私は一体どうしたらいいのだろう。
……私は悪魔になってもいいのかしら……。

 右の膝小僧の曲り目の処が、不意にキリキリと疼み出したので、私はビックリして跳ね起きた。何かしら鋭い刃物で突き刺されたような痛みであった……
 ……と思い思い、半分夢心地のまま、そのあたりと思う処を両手で探りまわしてみると……
 ……私は又ドキンとした。眼がハッキリと醒めてしまった。
 ……私の右足が無い……
 私の右足は股の付根の処からスッポリと消失せている。毛布の上から叩いても……毛布をめくっても見当らない。小さな禿頭のようにブルブル震えている股の切口と、ブクブクした敷蒲団ばかりである。
 しかし片っ方の左足はチャンと胴体にくっ付いている。縒れ縒れのタオル寝巻の下に折れ曲って、垢だらけの足首を覗かせている。それだのに右足はいくら探しても無い。タッタ今飛び上るほど疼んだキリ、影も形も無くなっている。
 これはどうした事であろう……怪訝しい。不思議だ。
 私はねぼけ眼をこすりこすり、そこいらを見まわした。
 森閑とした真夜中である。
 黒いメリンスの風呂敷に包まった十燭の電燈が、眼の前にブラ下がっている。
 窓の外には黒い空が垂直に屹立っている。
 その電燈の向うの壁際にはモウ一つ鉄の寝台があって、その上に逞しい大男が向うむきに寝ている。脱けはだかったドテラの襟元から、半出来の龍の刺青をあらわして、まん中の薄くなったイガ栗頭と、鬚だらけの達磨みたいな横顔を見せている。
 その枕元の茶器棚には、可愛い桃の小枝を挿した薬瓶が乗っかっている。妙な、トンチンカンな光景……。
 ……そうだ。私は入院しているのだ。ここは東京の築地の奎洋堂という大きな外科病院の二等室なのだ。向うむきに寝ている大男は私の同室患者で、青木という大連の八百屋さんである。その枕元の桃の小枝は、昨日私の妹の美代子が、見舞いに来た時に挿して行ったものだ……。
 ……こんな事をボンヤリと考えているうちに、又も右脚の膝小僧の処が、ズキンズキンと飛び上る程疼んだ。私は思わず毛布の上から、そこを圧え付けようとしたが、又、ハッと気が付いた。
 ……無い方の足が痛んだのだ……今のは……。
 私は開いた口が塞がらなくなった。そのまま眼球ばかり動かして、キョロキョロとそこいらを見まわしていたようであったが、そのうちにハッと眼を据えると、私の全身がゾーッと粟立って来た。両方の眼を拳…

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