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近眼芸妓と迷宮事件
きんがんげいしゃとめいきゅうじけん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「夢野久作全集10」 ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年10月22日
入力者柴田卓治
校正者ちはる
公開 / 更新2000-12-18 / 2014-09-17
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 俺の刑事生活中の面白い体験を話せって云うのか。小説の材料にするから……ふうん。折角だが面白い話なんかないよ。ヒネクレた事件のアトをコツコツと探りまわるんだから碌な事はないんだ。何でも職務となるとねえ。下らないイヤな思い出ばっかりだよ。
 その下らないイヤな思い出が結構。在来の名探偵大成功式の話じゃシンミリしない。恐ろしく執念深いんだなあ。
 それじゃコンナのはどうだい。どうしても目星が附かないので警視庁のパリパリ連中が、みんな兜を脱いだ絶対の迷宮事件が一つ在るんだ。所謂、完全犯罪だね。そいつが事件後丸一年目に或る芸妓のヒドイ近眼のお蔭で的確に足が付いた。すぐに犯人が捕まったってえ話はどうだい。珍らしいかね。実はこれは吾々にとっちゃ実に詰まらん失敗談だがね。探偵談なんていうのも恥かしいくらいトンチンカンな、単簡明瞭な事件なんだが……。
 なお面白い……ずるいなあ、とうとう話させられるか。
 もう古い話だ。明治四十一年てんだから日露戦争が済んだアトだ。幸徳秋水の大逆事件の前だっけね。チット古過ぎるかね。……構わんか……。
 ずいぶん古い話だがこの事件ばっかりは、どうしても忘れられない変テコな印象がハッキリ残っているんだよ。何故だかわからないが、メチャメチャになった被害者の顔とか、加害者の若い青白い笑い顔とか、その間に挟まった芸妓のオドオドした近眼とかいうものが、不思議なほどハッキリと眼に残っている。
 話の筋道は頗る簡単だがね。ほかの事件と違って何だか、こう考えさせられる深刻な、シンミリしたところがあるように思うんだ。
 事の起りは在り来りの殺人事件だった。
 飯田町の或る材木屋の主人で、苗字は忘れたが金兵衛という男が、自分の家の材木置場で殺られたんだ。天神様の御縁日の翌る日だったから二十六日だろう。天気のいい朝だったっけが、行ってみると非道い殺され方でね。
 五十恰好の禿頭のデップリした親爺で、縞の羽織に前垂、雪駄という、お定まりの町家の旦那風だったが、帽子を冠らないで懐手をしたまま、自分の家の材木置場から、飯田橋の停車場の方へ抜けて行く途中の、鋸屑のフワフワ積った小径の上に、コロリと俯伏せに倒れている……材木の蔭から躍り出た兇漢に、アッという間もなく脳天を喰らわされたんだね。額から眼鼻の間へかけて一直線に石榴みたいにブチ割られて、脳味噌がハミ出している。ちょっと見たところ、出血の量が非常に少ないと思ったが、顔の下の湿った鋸屑を掘ってみると、下の方ほど真黒くドロドロになっている。死後推定時間は十時間だったと思うが、倒れたまま、動かなかったらしい。文句なしの即死だね。ところでそこまでは判明したが、その他の事が全くわからない。
 その頃まではどこの材木置場にも木挽が活躍していたので、現場の周囲が随分遠くまで新らしい鋸屑だらけだ。犯人もそこを狙って仕事をしたものら…

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