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路傍の木乃伊
ろぼうのミイラ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「夢野久作全集11」 ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年12月3日
入力者柴田卓治
校正者しず
公開 / 更新2001-07-23 / 2014-09-17
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私は遠からず路傍の木乃伊になってしまいそうな気がする。口をポカンと開いた……眼の前の空間を凝視した……。
 私は中学を卒業した切り上の学校に行かないが、その中学時代が小説の耽読時代であった。漱石、蘆花、紅葉、馬琴、為永、大近松、世阿弥、デュマ、ポー、ホルムズ、一千一夜物語、イソップなぞ片端から読んだ。二葉亭、涙香、思案外史、鴎外なぞも漁った。
 それから自然主義の勃興にぶつかった。
 自然主義一流のコクメイな写実式の描写を、気の永い努力で無理に読み味わっては感心した。これが文学だな……と思って熱心に模倣し愛誦していた。絵でも音楽でも西洋風の写実主義のものを尊重した。とにかく西洋人の仕事を矢鱈に崇拝して、唯物個人主義的な観念に深入りして行った。
 私ばかりでない。その頃の日本人は皆謙遜であった。西洋文化を見境いもなく吸収するのに忙がしかった。同じ日本の風景でも日本人の手に成ったものは頭から軽蔑して、毛唐のタッチばかりを随喜した。毛唐のヨサがわからなければ芸術はわからないとまで云い合っていた。

 そのうちに西洋流の唯物資本主義が日本で飽満して、腐敗して、自己分解を初めた。
 唯物資本主義者の根本思想が、表面忠君愛国の美名に仮装されていながら内実は、社会主義者と同様の虚無思想であり、その生活の目標が弱肉強食と黄金万能の動物的享楽以外の何物でもない事がわかった……無良心、無節操、無意気、無感激な、ただその時その時の風まかせで生きて行く人間でなければ、大衆生活の仲間入りが出来ないように訓練された資本主義、唯物主義、個人主義者の子孫たち……そのような投遣りな傾向の日本の大衆が滔々としてエロ、グロ、ナンセンスの芸術に走り、犯罪小説、もしくは探偵小説のスリルに没入して行った。それはさながらにアル中、モヒ中の患者たちのように、そうした極端な刺戟をアトからアトから渇望し初めた。唯物個人主義の支配階級の連中が、その黄金の力で常に飽満しているエロ、グロ、ナンセンスの残忍、深刻なものを、彼等の夢の中に求めて止まなくなった。
 非常な勢いで発達して来た日本国内の印刷能力が、これに呼応し、活躍して、忽ちの中に大衆を飽満させて行った。見る間に純文学の滅亡を叫ばしむるに到った。
 一種の国産品の大量生産……それが現在の大衆読物の氾濫ではあるまいか。
 しかもその国産品の氾濫も最早、行き詰まりかけているのではあるまいか。

 多量の雑誌が出て来て、それがドシドシ売れて行く。読者は皆、芸術鑑賞の紋付袴で読む事を好まない。仰向けに引っくり返って、安易な夢を逐おうとしている事がわかればあとは、材料の安価と、商品化の手軽さが問題になって来るばかりである。
 真剣な作家の真剣な作品を、骨を折って集めるのは馬鹿馬鹿しい事になって来る。ヨタでも焼直しでも何でもいい、読者がちょっと面白がりさえすればいいと…

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