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溺れかけた兄妹
おぼれかけたきょうだい
作品ID215
著者有島 武郎
文字遣い新字新仮名
底本 「一房の葡萄 他四篇」 岩波文庫、岩波書店
1988(昭和63)年12月16日改版第1刷
初出「婦人公論」1921(大正10)年7月
入力者鈴木厚司
校正者地田尚
公開 / 更新1999-09-27 / 2014-09-17
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 土用波という高い波が風もないのに海岸に打寄せる頃になると、海水浴に来ている都の人たちも段々別荘をしめて帰ってゆくようになります。今までは海岸の砂の上にも水の中にも、朝から晩まで、沢山の人が集って来て、砂山からでも見ていると、あんなに大勢な人間が一たい何所から出て来たのだろうと不思議に思えるほどですが、九月にはいってから三日目になるその日には、見わたすかぎり砂浜の何所にも人っ子一人いませんでした。
 私の友達のMと私と妹とはお名残だといって海水浴にゆくことにしました。お婆様が波が荒くなって来るから行かない方がよくはないかと仰有ったのですけれども、こんなにお天気はいいし、風はなしするから大丈夫だといって仰有ることを聞かずに出かけました。
 丁度昼少し過ぎで、上天気で、空には雲一つありませんでした。昼間でも草の中にはもう虫の音がしていましたが、それでも砂は熱くって、裸足だと時々草の上に駈け上らなければいられないほどでした。Mはタオルを頭からかぶってどんどん飛んで行きました。私は麦稈帽子を被った妹の手を引いてあとから駈けました。少しでも早く海の中につかりたいので三人は気息を切って急いだのです。
 紆波といいますね、その波がうっていました。ちゃぷりちゃぷりと小さな波が波打際でくだけるのではなく、少し沖の方に細長い小山のような波が出来て、それが陸の方を向いて段々押寄せて来ると、やがてその小山のてっぺんが尖って来て、ざぶりと大きな音をたてて一度に崩れかかるのです。そうすると暫らく間をおいてまたあとの波が小山のように打寄せて来ます。そして崩れた波はひどい勢いで砂の上に這い上って、そこら中を白い泡で敷きつめたようにしてしまうのです。三人はそうした波の様子を見ると少し気味悪くも思いました。けれども折角そこまで来ていながら、そのまま引返すのはどうしてもいやでした。で、妹に帽子を脱がせて、それを砂の上に仰向けにおいて、衣物やタオルをその中に丸めこむと私たち三人は手をつなぎ合せて水の中にはいってゆきました。
「ひきがしどいね」
 とMがいいました。本当にその通りでした。ひきとは水が沖の方に退いて行く時の力のことです。それがその日は大変強いように私たちは思ったのです。踝くらいまでより水の来ない所に立っていても、その水が退いてゆく時にはまるで急な河の流れのようで、足の下の砂がどんどん掘れるものですから、うっかりしていると倒れそうになる位でした。その水の沖の方に動くのを見ていると眼がふらふらしました。けれどもそれが私たちには面白くってならなかったのです。足の裏をくすむるように砂が掘れて足がどんどん深く埋まってゆくのがこの上なく面白かったのです。三人は手をつないだまま少しずつ深い方にはいってゆきました。沖の方を向いて立っていると、膝の所で足がくの字に曲りそうになります。陸の方を向いていると…

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