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汚ない家
きたないいえ
作品ID2154
著者横光 利一
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆83 家」 作品社
1989(平成元)年9月25日
入力者土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2004-08-31 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 地震以後家に困つた。崩れた自家へ二ヶ月程して行つてみたら、誰れだか知らない人が這入つてゐた。表札はもとの儘だ。其からある露路裏の洋服屋の汚い二階を借りた。それも一室より借れなかつた。ある日菊池師が朝早く一人でひよこつと僕の家へ来られた。二三週間した日、師は、
「君の家を書いた。」と云はれた。
「どこです。」と訊ねると、中央公論とのこと。
 公論を見ると「震災余譚」と云ふ戯曲が出てゐて、舞台がそつくり僕のゐる内の洋服屋であつた。人物も洋服屋の人物そつくりで、一人の老母が出て来るがあれは僕の母らしかつた。「震災余譚」が沢正一派で天幕劇場にかかつたとき、下の洋服屋にそのことを云つて、見に行つて来てはと云ふと、喜んで行つた。しかし帰つて来てから洋服屋は失望してゐた。
「なぜか」と訊くと、
「あの芝居は私とこの洋服屋ぢやない。」と云ふ。
「いやさうだよ。」と云ふと、
「本には初音町となつてゐる。私とこは餌差町だ」と云ふ。
「なるほどね、僕は地震前に隣りの初音町にゐたから。」と云ふと、
「さうだな、間違へたのだな、失敗つた。」と云ふ。
 僕が笑つてゐると、洋服屋さん。
「あれが餌差町となつてゐると、わし所のは大流行になるのだが、失敗つた。」と失敗つたを頻りに繰り返してゐた。
 それから一ヶ月ほどして私は直ぐ近所へ変つて来た。ここも実際汚い長屋の中の一つである。外から見れば貧民窟とよりどうしても見えない。しかし、ここを借るにもどれほど多くの借り手と戦つたかしれなかつたのだ。漸く安心が出来たが、戸を閉めるのに眼を瞑つて閉めなければならなかつた。ほこりがいくらでも天井から落ちて来るのだ。一寸戸を動かしても、家全体が慄へてゐるのである。柱へ触るにも気をつけてゐないと痛いものが刺さりさうなのだ。壁がなくて、博覧会の部屋のやうな紙壁なので隣家の話声が馬鹿らしいほど聞える。例へば、いびきが聞える。すると私はそれが母のいびきか隣家のいびきであるかと暫く考へる必要が生じて来てゐる。しかし、いくら大きな地震でもやつて来いと云ふ気になつてゐる。屋根がもし倒れて来ても、私の頭で却つて屋根が上へ飛び上つて了ふにちがいないのだ。それにまだ良いことがある。第一に一見して美事にプロレタリアだと分ることだ。私はプロレタリアである。これは自慢でも謙遜でもない。第二に、家へ訊ねて来てくれる未知の人達は気の毒がつて二度と来てくれないことである。私は未知の人に逢ふのは厭な部類に属してゐる。第三に、幻想が豊富になること。これは貧乏街に住んでみない人には一寸分らない。非常に面白い所が多々あるのだ。一鉢の植木がどれほど快活に新鮮な感じを持つてその街を飾るかと云ふことも、人々はあまりに富貴を望んで鈍感になつてゐる時であるだけに、面白いことである。之は一例。まだ良いことは風景にも生活にも沢山あるが汚い家に住んでゐて悪い…

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