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夢の影響
ゆめのえいきょう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「日本の名随筆14 夢」 作品社
1984(昭和59)年1月25日
入力者土屋隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2008-02-04 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 小野小町に夢の歌の多いのを見て、小町は特に夢を愛したのだと云ふ説があります。私は特に夢を尊重もしませんが、夢見が好いと其日一日の氣分が何となく嬉しく愉快で、心に張りがあり、仕事をするのに勇氣が自然に伴つて、それがために仕事が意外に捗ると云ふやうな經驗は月の中に二三度もあります。反對に夢見が好くないために氣分がくさくさして、何をしても程好く運ばないと云ふやうなことも月に一度ぐらゐはあるやうです。人は或程度まで氣分に支配されることを免れません。
 夢の中で歌を詠んで自分ながら面白いと思つたものが、目が覺めてから考へるとお話にならない駄作であつたりすることは私に屡[#挿絵]あります。けれども、その夢ですらすらと歌の詠めたと云ふ氣持が覺めて後の私を非常に興奮させて、其日はまことに樂に筆が執れたりもします。
 古人のやうに夢の中で好い歌を感得したやうな經驗は持ちませんが、小説やお伽噺の構想を夢の中で捉へることは屡[#挿絵]あります。それには空想的なものもありますが、夢の中では意識が一方に集つて照り輝くためでせう、微妙な心理や複雜な生活状態から目が覺めて居る時よりも一層よく寫實的に觀察することの出來るばかりで無く、其れにおのづから明暗の度が適度に附いて、ちやんと一つの藝術品として立體的に浮き上つて構圖されて居る場合があります。さう云ふ場合に、人が夢を見て居ると云ふことは眠つて居るので無くて、藝術家としての最も純粹な活動をして居ることに當ると思ひます。
 それから、また、平生ぼんやりと考へて居ることや、どうして解釋して好いか解らないで行き惱んで居る問題などがはつきりと夢の中で判斷のつくこともあります。さう云ふ場合に夢と現實との間に境目と云ふものが無いやうな氣がします。と云つて、私は夢を少しも當てにして居るのでは無いのですが、小野小町が夢を愛したと云ふ氣持は私にも想像することが出來るやうに思ひます。
 私の良人はよくM先生を夢に見ると云つて喜んで居ります。それで斷えずM先生にお目に掛つてお話を承つて居る積りになつて居て、却て久しく先生のお宅へ上ることもせず御無沙汰をして居るのは夢と不精との連合した極端な例ですが、崇拜したり、景慕したりする人を夢に見るのは嬉しいことであつて、支那の聖人が「近頃夢に周公を見なくなつた」と云つて歎かれたのも、全く聖人の實感であつたらうと思はれます。
 古代は夢に由つて身の吉凶を判斷する占術者があつて、それを「夢解き」と云ひました。平安朝の初めに應天門を燒いた謀叛人の伴大納言善男がまだ田舍で郡司の從者をして居る程の卑しい身分であつた頃、東大寺と西大寺の塔に兩足を掛けて立つた夢を見て、その事を妻に話すと、無智な妻は「股が裂けるでせう」と云ふやうなことを云ひました。善男は瑞兆の夢だと考へて居たのに、妻の言ひ草を聞いて縁起でも無いと思つて夢解きの名人に…

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