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白金神経の少女
プラチナしんけいのしょうじょ
作品ID2190
著者蘭 郁二郎
文字遣い新字新仮名
底本 「火星の魔術師」 国書刊行会
1993(平成5)年7月20日
初出「奇譚」1939(昭和14)年8月
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2007-01-19 / 2014-09-21
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     バー・オパール

 日が暮れて、まだ間もない時分だった。
 街の上には、いつものように黄昏の遽だしさが流れて、昼の銀座から、第二の銀座に変貌しつつあった。が、この地下の一室に設けられたバー・オパールの空気だけは、森閑として、このバーが設けられて以来の、変りない薄暗さの中に沈淪していた。バー・オパールは昼も夜も、いつもこのように静かで暗かった。
 この騒然たる大都会のしかも都心に、このようにポツンと忘れられ、取りのこされているバーがあろうとは――私は、偶然にそのドアを押した瞬間から、そのなんとなく変った雰囲気に、搏たれてしまったのである。
 このバーは酒場というよりも応接間、といった方が相応しかった。四坪ばかりの小ぢんまりしたその部屋に、これは又――いささか古くはあったが――一流の豪華サロンに見るような、王朝風の彫刻をもったどっしりした椅子卓子が、ただ投出すように置いてある、そして、それらを広東更紗の電燈笠から落ちる光りが、仄々と浮出さしているのであった。――そういえば、このバーへの入口が、実に妙であった。相当銀座の地理には明るいつもりでいた私も、今日、今さっきはじめて此処を見付けたばかりなのである。川ッぺりのビルとビルとに挟まれた狭い露地――その奥の、ビルの宿直部屋にでも下りるような階段を下りると、その突当りに“Bar Opal”と、素人細工らしい小さい木彫のネームがぶら下っていた。
 だからあの時、私がふと小用を催さなかったならば、このバーの存在を知らずに過してしまったであろうし、又、これから記すような、奇妙な事件にも遭わなかった筈なのである。
 ところで、このようなバーにも先客が一人いた。それは、部屋の片隅の椅子に、雑巾のように腰をかけ、ちびりちびりとグラスを舐め、或いは何か物に憑かれたような熱心さで手帳に鉛筆を走らせている老人であった。十年一日のような疲れた黒洋服、申訳ばかりのネクタイを絡みつけた鼠のワイシャツ――。だが卵で洗ったような見事な銀髪と、時々挙げる顔の、深い皺をもった広い額とは、ふと近より難い威厳を見せてもいた。
 私の方では、はじめから気がついていたのだが、老人の方では、ややしばらく経ってからやっと気がついたらしく――、しかし気がつくとすぐ椅子を立って私の方にやって来た。そして、何かと話しかけるのである。
 はじめのうちは、都会人らしく打解けずに、肩を聳かしていた私も、この老人の、様子に似合わぬ若々しい声と、それに私自身、いつになくアルコオルが廻っていたせいか、何時の間にか受け答えをしてしまっているのであった。
 すると、この鷲尾と名乗る老人が、凡そ不似合な恋愛にまで触れて来たのである。
「河井さん――、といいましたね、いかがです、恋愛についての御意見はありませんか」
「レン愛――?」
「そうですよ、男女の――。お若いあなただ、…

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