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地図にない島
ちずにないしま
作品ID2192
著者蘭 郁二郎
文字遣い新字新仮名
底本 「火星の魔術師」 国書刊行会
1993(平成5)年7月20日
初出「ユーモアクラブ」1939(昭和14)年10月
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2007-01-19 / 2014-09-21
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 痛いばかりに澄み切った青空に、赤蜻蛉がすーい、すーいと飛んでいた。
「もう終りだね、夏も――」
 中野五郎は、顔馴染になった監視員の、葦簾張りのなかに入りながら呟いた。
「まったく。もうこの商売ともお別れですよ……」
 真黒に陽にやけた監視員の圭さんが、望遠鏡の筒先きに止まっている赤蜻蛉を、視線のない眼で見ていた。
 夏の王座を誇っていたこのK海水浴場も、赤蜻蛉がすいすい現れて来ると、思いなしか潮風にも秋の匂いがして来た。波のうねりは、めっきり強くなったし、びっしりと隙間もないほど砂浜を彩っていた、パラソルやテントの数が、日毎に減って行った。いままでが特別華やかだっただけに、余計もの淋しかった。
「どれ……、又かしてもらうかな」
「…………」
 圭さんは、一寸頷くように眼を動かしたきりだった。
 中野は、そこに設えつけの、望遠鏡の接眼部を拭うと、静かに眼に当てた。
 いつものように、水平線の方からずーっと見渡した。沖には肉眼では見えにくいが、舟が二艘出ていた。しかし、それきりだった。
 こんどは右手の岬の方に、廻して見た。
 ――この、望遠鏡を覗く、というのはまあ一種の役徳ですよ、相当『珍』なのがありますからね、とは圭さんの笑いながらの話だけれどそんな意味ばかりでなく、中野は望遠鏡をのぞくのが好きだった。
 たかが地上望遠鏡で、口径の小さい、倍率の低いものだったけれど、それでもこんな簡単な筒を通して見るだけで、肉眼では見えない向うの世界が手にとるように、引寄せられるというのが楽しかった。何か、人の知らないものを、自分だけこっそり楽しむという慾望が人間にあるのなら、望遠鏡は、たしかにその一つを味わわせてくれる機械である。
 ――岬の方にも、変った様子はなかった。釣りのかえりらしい男の歩いているのが見えたが、その魚籠のなかは、いくら見ても空ッぽらしかった。
 が、望遠鏡の向きをかえよう、とした時だ。ふと岩蔭の窪みに、見馴れぬ船が舫っているのに気づいた。十噸ぐらいの白色に塗られたスマートな船だ。
 その岩蔭のあたりは、碧味をもった深淵になっていて、その位の船は、悠々つけられるのは知っていたが、船のあるのを見たのは今日がはじめてである。
 その船も、この辺ではついぞ見かけぬ船のようだ。岩蔭に、半分以上かくれているので船尾の船名は見えなかったけれど、見るからにスピードの出そうな、近代的な流線型の船首が、ゆっくりと波にゆられていた。
「珍しい船がいるね」
 中野は、望遠鏡から眼を離して圭さんをかえりみた。
 圭さんは相変らず、その陽焼けした顔に、一すじの表情も浮べないで
「うん……外人のだろう」
 そう、気のなさそうな返事をして、見向こうともしない。中野は仕方なしに、また望遠鏡を覗きこんだ。
「…………」
 いつの間にか、いま一寸眼をはなしたばかり…

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