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樹木とその葉
じゅもくとそのは
副題29 東京の郊外を想ふ
29 とうきょうのこうがいをおもう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「若山牧水全集 第七卷」 雄鷄社
1958(昭和33)年11月30日
入力者柴武志
校正者林幸雄
公開 / 更新2001-06-13 / 2014-09-17
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 日向の山奧から出て來て先づ私の下宿したのは麹町の三番町であつた。其處の下宿屋から早稻田の學校まで、誰かに最初教へて貰つた一すぢ道を眞直ぐに往復するほか、一寸した[#挿絵]り道をもようせずに通つてゐたのが二三ヶ月以上も續いた。散歩をすると云へば靖國神社の境内から九段坂を降りて神田の表神保町の本屋を見て歩く、僅かにそんなことであつた。そのほかに遠出をするといふのは田舍者にとつて如何にも億劫な、恐しいことであつたのだ。
 それが、或日どうしたことであつたか、大方受持教授の休講の時間でゝもあつたらうとおもふ、ふら/\と學校を出て穴八幡の境内に入り、更にその森つゞきの木の下道(あとでその森が戸山學校であることを知つた)をくゞつて出外れて見て驚いた。おもひもかけぬ大きな平野が其處に開けてゐたのである。
 まつたくその時の驚きはいま考へても可笑しい樣である。何しろ山と山との間の峽谷に生れて、今まで曾てさうした大きな野原をば見た事がなかつたのである。しかもそれが二三ヶ月以上もぐつしりとかぢりついて離れなかつた自分の學校のツイうしろから開けてゐやうとは、夢にも思ひがけぬところであつたからである。
 驚きのあまり、授業の事をも忘れて私は恐る/\なほその小徑を野原の方へ歩いて行つた。そして行き着いたのが戸山ヶ原の櫟林であつたのだ。驚きはいつか一種の哀愁に變つて、足音をぬすむ樣にして私は其處に群立してゐる木から木の間の下草を踏み分けて歩き[#挿絵]つたものであつた。明治三十七年初夏のことであつた。
 さうした大發見をした二三日後、私は直ぐ三番町を引上げて、今は早稻田高等學院が建つてゐる穴八幡下に在つた下宿に移つて來た。そして毎日々々私の戸山ヶ原散歩は始まつたのであつた。
 斯ういふ記憶を呼び出しながら現在の戸山ヶ原を見ると如何にもうら寂しい。その頃は四方野つゞきの、ほんたうの野原の一部であつた。今は工場や住宅に圍まれて野原といふよりたゞの空地といふに過ぎぬ場所になつてしまつた。自づと人出が多いので、下草は踏み荒され、堆かつた落葉なども今は殆んど見るよしがない。
 代々木の原は戸山ヶ原より更に粗野な感じを持つてゐた。が、今ではたゞ土埃を捲きあぐる赭土原となり終つてゐる。僅かにその傍の明治神宮の境内に幾分の面影を偲ぶことが出來やうか。
 大正二年三年の頃、小石川の大塚窪町に住んでゐた。其處の近くには護國寺の森があつた。寺と皇族墓地との境の窪みが小さな池ともつかぬものになつてゐて、其處に初夏ならば藤の花が咲いて垂れてゐた。これは恐らく今でもあるだらう。其處を出て少し行くと東京市經營の廣い養樹園があつた。公園とか並木とかに植うべき樹木を育つる場所である。殆んど全てが落葉樹であつたゝめ、若芽のころ、落葉のころ、實に柔かな親しい眺めを持つてゐた。園の中に二三條の路があつて自由に通れることにな…

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