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弘法大師の文芸
こうぼうだいしのぶんげい
作品ID2252
著者内藤 湖南
文字遣い旧字旧仮名
底本 「内藤湖南全集 第九卷」 筑摩書房
1969(昭和44)年4月10日
初出弘法大師降誕會講演、1912(明治45)年6月15日
入力者はまなかひとし
校正者菅野朋子
公開 / 更新2001-10-17 / 2016-04-20
長さの目安約 51 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 弘法大師の事に就きましては、年々こちらで講演がありまして、殊に今日見えて居ります谷本博士の講演は、私も拜聽も致し、又其の後小册子として印刷せられましたものも拜見いたしました。それで先づ弘法大師に關する總論と申しますか、兎に角弘法大師に關する全般の觀察に就きましては、殆ど谷本博士の講演に盡きて居りますので、其の外に別に新らしい事を見付け出し得ようと云ふことはありませぬ。其の後矢張り同僚の一人松本博士などからも、何か密教に關する講演がありましたさうです。それは私共一體分りませぬことでありますから、是はどうせ讀んでも分らぬと思つて、餘り拜見も致しませぬ。それから又是はこちらで講演をせられたものではないのでありますけれども、印刷物として配布せられたのに、幸田露伴博士の何か小册子がありましたやうで、是も弘法大師の文學上に關係したもので、是も一通りは拜見いたしました。何れも皆結構なもので、何も其外に私が今日新らしく申上げようと云ふことはありませぬ次第でございます。
 所で何の研究でもさうでありますが、初めに總論のやうなものが出來ますと、それからあとの研究は段々、自然細かい所へ入り過ぎて仕舞ふ。其の細かい研究と云ふものは、研究者本人に取つては隨分相當に面白いことがあると思ひましても、一般の人が聽きますと、何か研究者自身が一人だけ分つたことを言つて居るやうになりまして、餘り興味が多くないと云ふやうなことになる傾きがあります。それで弘法大師の文學上の事に就きましても、既に大體の總論に於きましては、谷本博士の講演があり、又幸田博士の文學上に對する意見も發表せられて居りますから、其のあとで私が何か申さうとすると、自然どうしても一部分の細かい事に入り過ぎるやうな傾きになるのは免がれませぬ。勿論初めから其の覺悟で何か細かい一部分の事を申上げて、それで御免を蒙らうと云ふ覺悟でありますので、今日御話を致しますのも、弘法大師の文藝とは申しましても、極く其の中の一部分、詰り大師の著はされた書籍に就いて、それの批評と申しますやうな事を申上げるに過ぎませぬ。勿論それ等の事も既に谷本、幸田兩博士の研究に於て、重もなる點は發表されて居りますので、私が申上げるのは段々枝葉に亙ると云ふことは免がれませぬ。どうぞ其の御積りで御聽きを願ひます。餘程是は聽かれる方々に取つては御迷惑なことであらうと思ひますけれども、兎に角弘法大師の盡力されたことを此處で細かに申上げる次第でありますから、私に對する御勤めでなく、宗祖弘法大師に對して御勤め下さる御心で暫く御清聽を願ひます。
 それで弘法大師が著はされた書籍の中の一二のものに就いて批評を致して見ますと、弘法大師でも文藝上の著述が澤山ある次第ではございませぬ。是は谷本博士の講演の中にも、隨分いろ/\御骨折りになつて研究せられたものでありますが、其の一つは文鏡祕府論で…

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