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海潮音
かいちょうおん
著者
翻訳者上田 敏
文字遣い新字旧仮名
底本 「海潮音 上田敏訳詩集」 新潮文庫、新潮社
1952(昭和27)年11月28日、1968(昭和43)年1月15日20刷改版
入力者山口美佐
校正者Juki
公開 / 更新1999-07-01 / 2014-09-16
長さの目安約 55 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

[#ページの左右中央]


  遙に満洲なる森鴎外氏に此の書を献ず


[#改ページ]
[#ページの左右中央]


大寺の香の煙はほそくとも、空にのぼりて
あまぐもとなる、あまぐもとなる。
               獅子舞歌


[#改丁]

海潮音 序

 巻中収むる処の詩五十七章、詩家二十九人、伊太利亜に三人、英吉利に四人、独逸に七人、プロヴァンスに一人、而して仏蘭西には十四人の多きに達し、曩の高踏派と今の象徴派とに属する者その大部を占む。
 高踏派の壮麗体を訳すに当りて、多く所謂七五調を基としたる詩形を用ゐ、象徴派の幽婉体を翻するに多少の変格を敢てしたるは、その各の原調に適合せしめむが為なり。
 詩に象徴を用ゐること、必らずしも近代の創意にあらず、これ或は山岳と共に旧きものならむ。然れどもこれを作詩の中心とし本義として故らに標榜する処あるは、蓋し二十年来の仏蘭西新詩を以て嚆矢とす。近代の仏詩は高踏派の名篇に於て発展の極に達し、彫心鏤骨の技巧実に燦爛の美を恣にす、今ここに一転機を生ぜずむばあらざるなり。マラルメ、ヴェルレエヌの名家これに観る処ありて、清新の機運を促成し、終に象徴を唱へ、自由詩形を説けり。訳者は今の日本詩壇に対て、専らこれに則れと云ふ者にあらず、素性の然らしむる処か、訳者の同情は寧ろ高踏派の上に在り、はたまたダンヌンチオ、オオバネルの詩に注げり。然れども又徒らに晦渋と奇怪とを以て象徴派を攻むる者に同ぜず。幽婉奇聳の新声、今人胸奥の絃に触るるにあらずや。坦々たる古道の尽くるあたり、荊棘路を塞ぎたる原野に対て、これが開拓を勤むる勇猛の徒を貶す者は怯に非らずむば惰なり。
 訳者嘗て十年の昔、白耳義文学を紹介し、稍後れて、仏蘭西詩壇の新声、特にヴェルレエヌ、ヴェルハアレン、ロオデンバッハ、マラルメの事を説きし時、如上文人の作なほ未だ西欧の評壇に於ても今日の声誉を博する事能はざりしが、爾来世運の転移と共に清新の詩文を解する者、漸く数を増し勢を加へ、マアテルリンクの如きは、全欧思想界の一方に覇を称するに至れり。人心観想の黙移実に驚くべきかな。近体新声の耳目に嫺はざるを以て、倉皇視聴を掩はむとする人々よ、詩天の星の宿は徙りぬ、心せよ。
 日本詩壇に於ける象徴詩の伝来、日なほ浅く、作未だ多からざるに当て、既に早く評壇の一隅に囁々の語を為す者ありと聞く。象徴派の詩人を目して徒らに神経の鋭きに傲る者なりと非議する評家よ、卿等の神経こそ寧ろ過敏の徴候を呈したらずや。未だ新声の美を味ひ功を収めざるに先ちて、早くその弊竇に戦慄するものは誰ぞ。
 欧洲の評壇また今に保守の論を唱ふる者無きにあらず。仏蘭西のブリュンチエル等の如きこれなり。訳者は芸術に対する態度と趣味とに於て、この偏想家と頗る説を異にしたれば、その云ふ処に一々首肯する能はざれど、仏蘭西詩壇一部の極端派…

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