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大塩平八郎
おおしおへいはちろう
作品ID2298
著者森 鴎外
文字遣い新字旧仮名
底本 「鴎外歴史文学集 第二巻」 岩波書店
2000(平成12)年10月10日
入力者kompass
校正者小林繁雄
公開 / 更新2001-12-13 / 2014-09-17
長さの目安約 95 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

   一、西町奉行所

 天保八年丁酉の歳二月十九日の暁方七つ時に、大阪西町奉行所の門を敲くものがある。西町奉行所と云ふのは、大阪城の大手の方角から、内本町通を西へ行つて、本町橋に掛からうとする北側にあつた。此頃はもう四年前から引き続いての飢饉で、やれ盗人、やれ行倒と、夜中も用事が断えない。それにきのふの御用日に、月番の東町奉行所へ立会に往つて帰つてからは、奉行堀伊賀守利堅は何かひどく心せはしい様子で、急に西組与力吉田勝右衛門を呼び寄せて、長い間密談をした。それから東町奉行所との間に往反して、けふ十九日にある筈であつた堀の初入式の巡見が取止になつた。それから家老中泉撰司を以て、奉行所詰のもの一同に、夜中と雖、格別に用心するやうにと云ふ達しがあつた。そこで門を敲かれた時、門番がすぐに立つて出て、外に来たものの姓名と用事とを聞き取つた。
 門外に来てゐるのは二人の少年であつた。一人は東組町同心吉見九郎右衛門の倅英太郎、今一人は同組同心河合郷左衛門の倅八十次郎と名告つた。用向は一大事があつて吉見九郎右衛門の訴状を持参したのを、ぢきにお奉行様に差し出したいと云ふことである。
 上下共何か事がありさうに思つてゐた時、一大事と云つたので、それが門番の耳にも相応に強く響いた。門番は猶予なく潜門をあけて二人の少年を入れた。まだ暁の白けた光が夜闇の衣を僅に穿つてゐる時で、薄曇の空の下、風の無い、沈んだ空気の中に、二人は寒げに立つてゐる。英太郎は十六歳、八十次郎は十八歳である。
「お奉行様にぢきに差し上げる書付があるのだな。」門番は念を押した。
「はい。ここに持つてをります。」英太郎が懐を指さした。
「お前がその吉見九郎右衛門の倅か。なぜ九郎右衛門が自分で持つて来ぬのか。」
「父は病気で寝てをります。」
「一体東のお奉行所附のものの書付なら、なぜそれを西のお奉行所へ持つて来たのだい。」
「西のお奉行様にでなくては申し上げられぬと、父が申しました。」
「ふん。さうか。」門番は八十次郎の方に向いた。「お前はなぜ附いて来たのか。」
「大切な事だから、間違の無いやうに二人で往けと、吉見のをぢさんが言ひ附けました。」
「ふん。お前は河合と言つたな。お前の親父様は承知してお前をよこしたのかい。」
「父は正月の二十七日に出た切、帰つて来ません。」
「さうか。」
 門番は二人の若者に対して、こんな問答をした。吉見の父が少年二人を密訴に出したので、門番も猜疑心を起さずに応対して、却つて運びが好かつた。門番の聞き取つた所を、当番のものが中泉に届ける。中泉が堀に申し上げる。間もなく堀の指図で、中泉が二人を長屋に呼び入れて、一応取り調べた上訴状を受け取つた。
 堀は前役矢部駿河守定謙の後を襲いで、去年十一月に西町奉行になつて、やう/\今月二日に到着した。東西の町奉行は月番交代をして職務を行つてゐて、今…

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