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日常身辺の物理的諸問題
にちじょうしんぺんのぶつりてきしょもんだい
作品ID2349
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦随筆集 第三巻」 岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日、1963(昭和38)年4月16日第20刷改版
初出「科学」1931(昭和6)年4月
入力者(株)モモ
校正者かとうかおり
公開 / 更新2000-10-03 / 2014-09-17
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 毎朝起きて顔を洗いに湯殿の洗面所へ行く、そうしてこの平凡な日々行事の第一箇条を遂行している間に私はいろいろの物理学の問題に逢着する。そうしていつも同じようにそれに対する興味は引かれながら、いつまでもそのままの疑問となって残っているのである。今試みにその中の二三をここにしるすことにする。
 第一は金だらいとコップとの摩擦によって発する特殊な音響の問題である。普通の琺瑯引きの鉢形の洗面盤に湯を半分くらい入れる。そうしてやはり琺瑯引きでとっ手のついた大きい筒形のコップをそのわきに並べて置き、そうしてコップの円筒面を鉢の縁辺に軽く接触させる。そうして顔を洗うために鉢の水が動揺すると、この水の定常振動と同じ週期で一種の楽音を発することがしばしばある。それでよく気をつけて見ると、これは鉢の縁とコップとの摩擦によって起こる鉢の振動のためらしい事がわかった。宅の洗面台はきわめて粗末な普通のいわゆる流しになっていて、木製の箱の上に亜鉛板を張ったものであるが、それが凹凸があって下の板としっくり密着していないために、洗面鉢の水が動揺するにつれて鉢自身がやはり少しの傾斜振動をする。しかるに鉢の底面からは相当離れた所に固定しているコップは不動であるから、そこで相互間の週期的の摩擦運動が起こり、そのためにちょうど弓でクラドニ板をこする場合に似た事がらが生ずるのであるらしい。さてこれだけならば問題ははなはだ平凡であるが、ここで問題になるのは、右のような条件が具備した時でも必ずしもきれいな音響を出さぬ場合と、また非常によく鳴る場合とがあることである。
 古い物理書などに書いてあるとおりガラスのフィンガーボールの縁を指頭で摩擦して楽音を発せしめる場合に、指を水でぬらしておいて摩擦する事になっているが、現在の場合でも接触面が水でぬれている事が必要条件であるらしく見える。これも充分に実験を重ねた上でなければ断言はできないが、これまでの経験ではそう思われる。しかし次に起こって来る問題は、単に水でぬれているだけでそれで充分であるかどうかということである。
 近年のいわゆる「表面化学」の発達によって次第に明らかになって来たとおり、固体ことにガラスや陶器などの表面にはガスのみならずある種類の液体や固体の薄膜を頑固に付着せしめる性質がある。そうして、普通人間の手に触れる物体は自然に油脂類のそういう皮膜でおおわれていて、それを完全に除去するのはなかなか容易でない事が知られている。そこで洗面鉢やコップなどにはほとんど当然にそういう皮膜があるものと仮定しなければならない。そうしてその皮膜が厚い時もありまた薄い時もあり、その上をぬらしている水と皮膜との境界面の分子構造もまた時により一様でないかもしれない。それでさしあたり行なってみたい実験は、まずできるだけ注意して油脂類を除去したものと、一方では、また故意に一定…

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