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灰燼十万巻
かいじんじゅうまんかん
作品ID2392
副題(丸善炎上の記)
(まるぜんえんじょうのき)
著者内田 魯庵
文字遣い新字新仮名
底本 「魯庵の明治 山口昌男、坪内祐三編」 講談社文芸文庫、講談社
1997(平成9)年5月9日
初出「趣味」1910(明治43)年1月
入力者斉藤省二
校正者松永正敏
公開 / 更新2001-05-19 / 2016-02-06
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十二月十日、珍らしいポカ/\した散歩日和で、暢気に郊外でも[#挿絵][#挿絵]きたくなる天気だったが、忌でも応でも約束した原稿期日が迫ってるので、朝飯も匆々に机に対った処へ、電報!
 丸善から来た。朝っぱらから何の用事かと封を切って見ると、『ケサミセヤケタ。』
 はて、解らん。何の事ッたろう。何度読直しても『今朝店焼けた』としか読めない。金城鉄壁ならざる丸善の店が焼けるに決して不思議は無い筈だが、今朝焼けるとも想像していないから、此簡単な仮名七字が全然合点めなかった。
 且此朝は四時半から目が覚めていた。火事があったら半鐘の音ぐらい聞えそうなもんだったが、出火の報鐘さえ聞かなかった。怎うして焼けたろう? 怎うしても焼けたとは思われない。
 暗号ではないかとも思った。仮名が一字違ってやしないかとも思った。が、怎う読直しても、ケサミセヤケタ!
 すると何となく、『焼けそうな家だった』という心持がして、急いで着のみ着のまゝの平生着で飛出した。
 呉服橋で電車を降りて店の近くへ来ると、ポンプの水が幾筋も流れてる中に、ホースが蛇のように蜒くっていた。其水溜の中にノンキらしい顔をした見物人が山のように集っていた。伊達巻の寝巻姿にハデなお召の羽織を引掛けた寝白粉の処班らな若い女がベチャクチャ喋べくっていた。煤だらけな顔をした耄碌頭巾の好い若い衆が気が抜けたように茫然立っていた。刺子姿の消火夫が忙がしそうに雑沓を縫って往ったり来たりしていた。
 泥塗れのビショ濡れになってる夜具包や、古行李や古葛籠、焼焦だらけの畳の狼籍しているを[#「狼籍しているを」はママ]しているを横に見て、屋根も簷も焼け落ちて真黒に焼けた柱ばかりが立ってる洋物小売部の店(当時の丸善の仮営業所は鍵の手になっていて、表通りと横町とに二個処の出入口があった。横町の店が洋物小売部であった。)の前を通って、無事に助かった海苔屋の角を廻って仮営業所の前へ出ると見物人は愈が上に集っていた。鳶人足がカン/\板囲を打付けている最中であった。丸善の店も隣りの洋服屋も表掛りが僅かに残ったゞけで、内部は煙が朦々と立罩めた中に焼落ちた材木が重なっていた。丸善は焼けて了った。夫までは半信半疑であったが、現在眼の前に昨日まで活動していた我が丸善が尽く灰となって了った無残な光景を見ると、今更のように何とも云い知れない一種の無常を感じた。
 猶だ工事中の新築の角を折れて、仮に新築の一部に設けた受附へ行くと、狭い入口が見舞人で一杯になっていた。受附の盆の上には名刺が堆かく山をなしていた。誰を見ても気が立った顔をしている店員と眼や頤で会釈しつゝ奥へ行くと、思い/\に火鉢を央に陣取ってる群が其処にも此処にも団欒していた。みんなソワ/\して、沈着いてる顔は一人も無かった。且各自が囲んでる火鉢は何処からか借りて来たと見えて、どれも皆看馴れないも…

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