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夏の月
なつのつき
作品ID2422
著者川端 茅舎
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆58 月」 作品社
1987(昭和62)年8月25日
入力者土屋隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-11-11 / 2014-09-18
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

    一

 水天宮様の真上の方に月があつて、甘酒屋から蛎浜橋までゆく横丁の片側を照らしてゐた。其頃は今より市中は電灯が暗くて月が大変に明るかつた。橋の近くの米屋と炭屋との電灯は特別に暗いもんで米屋の小僧と炭屋の小僧とは月の往来で遊んでゐた。月に照らされた米屋の小僧は白く炭屋の小僧は黒かつた。往来する人々も縁台に涼んでゐる人々も、月に照らされておの/\濃い影ぼうをば引摺つてゐた。それほど月は明るかつた。
 魚屋、紙屋、焼芋屋、漬物屋、三味線屋、古道具屋、提灯屋、パン屋、下駄屋、牛肉屋といふやうな順序で並んでゐる側は月を屋根に脊負つてゐるのだつた。
 魚屋は宵の口から流しを洗つて了つてゐたけれども、其隣の紙屋の小僧はおそくまで封筒を張つてゐた。
 茲の芋屋は夏も氷屋と化けず、律儀に芋ばかりを売つてゐた。さうして母親の死んだとき、茲の息子はそれを夜明け前に焼場へ運んで了つて、その朝からふだんの通り店先は大笊に甘藷が湯気を立てゝ並んでゐた。葬式があると思つた近所の人々が却つて面くらつた。然し商売は繁昌して、八丁堀か薬研堀かに其の芋の出店が出来た。
 三味線屋の岩公は泣虫の癖に海[#挿絵]が上手くて僕の海[#挿絵]をいつも他の奴から沢山に勝つて呉れた。その代り向ふの露路の駄菓子屋の婆アに借金してゐる事を秘密にしてくれと僕に歎願した。
 提灯屋の白ツ子と、パン屋の兄弟とが聯合して岩公を泣かす時僕はいつも助けてやるのだつた。然し僕も時々は面白半分に岩公を泣かすのだつた。
 この横丁の中ほどから北へ折れて真ツ直な通りは旧吉原の大門通りだつた。或夜、人取の仲間がみんなちり/\になつてから未だ遊び足り無い僕と岩公とは、月に照らされ乍ら静かなこの大問屋許り並んでゐる通りを大丸の附近までとぼとぼ歩いて行つた。
「鐘一つ売れぬ日は無し江戸の春」と其角が吟んだ金物問屋の戸は早閉ぢて軒下に置いた大きなつり鐘を月が明るく照らしてゐた。突然そのとき――僕と岩公とは下駄で力一ツ杯その釣鐘を蹴とばした。けつてもけつても釣鐘は唯コツコツいふばかりだつた。さうして釣鐘は遂にゴーンゴーンと鳴り出してくれなかつた。


    二

 ――横丁へ戻らう――煎餅屋、袋物屋、稲荷鮓屋、簾屋、油屋、葛籠屋、蕎麦屋、酒屋の並んでゐる側にはそれぞれ店先へ月がさしこんでゐた。
 稲荷鮓屋の主人は最初この附近の色里を夜更ける迄「お稲荷さん」つて淋しい声で売り乍ら身代つくつて、今は東京全市へ支店を出した立志伝中のものだつた。然し身代が出来てからは、月に面テを曝すさへも羞らふのか滅多主人の顔は見られなかつた。
 簾屋は朝から晩まで葭簀をバタンバタンと編んでゐた。その音が昼は葭切のやうにカラクヮイチ――カラクヮイチときこえ、夜は螽[#挿絵]のやうにギイスチヨン――ギイスチヨンといつて続いてゐた。
 油屋は本当に油地獄の…

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