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霧の不二、月の不二
きりのふじ、つきのふじ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆58 月」 作品社
1987(昭和62)年8月25日
入力者土屋隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-11-10 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 不二より瞰るに、眼下に飜展せられたる凸版地図の如き平原の中白面の甲府を匝ぐりて、毛ばだちたる皺の波を畳み、その波頭に鋭峻の尖りを起てたるは、是れ言ふまでもなく金峰山、駒ヶ嶽、八ヶ嶽等の大嶽にして、高度いづれも一万尺に迫り、必ずしも我不二に下らざるが如し、不二は自らその高さを意識せざる謙徳の大君なり、裾野より近く不二を仰ぐに愈よ低し、偉人と共に家庭居するものは、その那辺が大なるかを解する能はざるが如し。この夏我金峰山に登り、八ヶ嶽に登り、駒ヶ嶽に登る、瑠璃色なる不二の翅脈なだらかに、絮の如き積雪を膚の衣に著けて、悠々と天空に伸ぶるを仰ぐに、絶高にして一朶の芙蓉、人間の光学的分析を許さゞる天色を佩ぶ、我等が立てる甲斐の山の峻峭を以てするも、近づいて之に狎るゝ能はず、虔しんでその神威を敬す、我が生国の大儒、柴野栗山先生讚嘆して曰く「独立原無競、自為衆壑宗」まとことに不二なくんば人に祖先なく、山に中心なけむ、甲斐の諸山水を跋渉しての帰るさ、東海道を汽車にして、御殿場に下り、登嶽の客となりぬ。
 旅館の主人、馬を勧め、剛力を勧め、蓆を勧め、編笠を勤む[#「勤む」はママ]、皆之を卻く、この極楽の山、只一本の金剛杖にて足れりと広舌して、朝まだき裾野を往く。
 市街を離れて里許、不二の裾野は、虫声にも色あり、そよ吹く風にも色あり、色の主を花といふ、金色星の、夕下界に下りて、茎頭に宿りたる如き女郎花、一輪深き淵の色とうたはれけむ朝顔の、闌秋に化性したる如き桔梗、蜻蛉の眼球の如き野葡萄の実、これらを束ねて地に引き据ゑたる間より、樅の木のひよろりと一際高く、色波の旋律を指揮する童子の如くに立てるが、その枝は不二と愛鷹とを振り分けて、殊に愛鷹の両尖点(右なるは主峰越前嶽にして位牌ヶ嶽は左の瘤ならむ)は、躍つて梢に兎耳を立てたり、与平治茶屋附近虫取撫子の盛りを過ぎて開花するところより、一里茶屋に至るまで、焦砂を匂はすに花を以てし、夜来の宿熱を冷やすに刀の如き薄を以てす、雀おどろく茱萸に、刎ね飛ばされて不二は一たび揺曳し、二たびは青木の林に落ちて、影に吸収せられ、地に消化せられ、忽焉として見えずなりぬ、満野粛として秋の気を罩め、騎客草間に出没すれども、惨として馬嘶かず、この間の花は、磧撫子、蛍袋、擬宝珠、姫百合、[#挿絵]苳、唐松草等にして、木は百中の九十まで松属の物たり。
 一里松附近より、角度少しく急にして、大木を見ず、密々たる灌木、疎々たる喬木の混合林となりて、前者を代表するに萩あり、後者には栗多く、それも大方は短木、この辺より不二は奈良の東大寺山門より大仏を仰ぐより近く聳え、半より以上、黄袗は古びて赭く、四合目辺にたなびく一朶の雲は、垂氷の如く倒懸して満山を冷やす、別に風より迅き雲あり、大虚を亘りて、不二より高きこと百尺許なるところより、之を翳し、山膚に皹を入る。雲消えて皹も…

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