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丹下左膳
たんげさぜん
作品ID24376
副題01 乾雲坤竜の巻
01 けんうんこんりゅうのまき
著者林 不忘
文字遣い新字新仮名
底本 「林不忘傑作選1 丹下左膳(一) 乾雲坤竜の巻」 山手書房新社
1992(平成4)年7月20日
「林不忘傑作選2 丹下左膳(二) 続・乾雲坤竜の巻」 山手書房新社
1992(平成4)年7月20日
初出「新版大岡政談」東京日日新聞、1927(昭和2)年10月15日~1928(昭和3)年5月31日
入力者小林繁雄、門田裕志
校正者花田泰治郎
公開 / 更新2005-10-06 / 2014-09-18
長さの目安約 696 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

夜泣きの刀

 しずかに更けてゆく秋の夜。
 風が出たらしく、しめきった雨戸に時々カサ! と音がするのは庭の柿の病葉が散りかかるのであろう。その風が隙間を洩れて、行燈の灯をあおるたびに、壁の二つの人影が大入道のようにゆらゆらと揺ぐ――。
 江戸は根津権現の裏、俗に曙の里といわれるところに、神変夢想流の町道場を開いている小野塚鉄斎、いま奥の書院に端坐して、抜き放った一刀の刀身にあかず見入っている。霜をとかした流水がそのまま凝ったような、見るだに膚寒い利刃である。刀を持った鉄斎の手がかすかに動くごとに、行燈の映ろいを受けて、鉄斎の顔にちらちらと銀鱗が躍る。すこし離れて墨をすっている娘の弥生は、何がなしに慄然として襟をかきあわせた。
「いつ見ても斬れそうだのう」
 ひとりごとのように鉄斎がいう。
「はい」
 と答えたつもりだが、弥生の声は口から外へ出なかった。
「年に一度しか取り出すことを許されない刀だが、明日はその日だ――誰が此刀をさすことやら」
 鉄斎というよりも刀が口をきいているようだ。が、ちらと娘を見返った鉄斎の老眼は、父親らしい愛撫と、親らしい揶揄の気味とでいつになく優しかった。すると弥生は、なぜか耳の付け根まであかくなって、あわてて墨をする手に力を入れた。うなだれた首筋は抜けるように白い。むっちりと盛りあがった乳房のあたりが、高く低く浪を打っている。
 轟ッ――と一わたり、小夜嵐が屋棟を鳴らして過ぎる。
 鉄斎は、手にしていた一刀を、錦の袋に包んだ鞘へスウッ、ピタリと納めて、腕を組んで瞑目した。
 膝近く同じ拵えの刀が二本置いてある。
 関の孫六の作に、大小二口の稀代の業物がある。ともに陣太刀作りで、鞘は平糸巻き、赤銅の柄に刀には村雲、脇差には上り竜の彫り物があるというところから、大を乾雲丸、小を坤竜丸と呼んでいるのだが、この一対の名刀は小野塚家伝来の宝物で、諸国の大名が黄金を山と積んでも、鉄斎老人いっかな手放そうとはしない。
 乾雲、坤竜の二刀、まことに天下の逸品には相違ない。だが、この刀がそれほど高名なのは、べつに因縁があるのだと人はいいあった。
 ほかでもないというのは。
 二つの刀が同じ場所に納まっているあいだは無事だが、一朝乾雲と坤竜が所を異にすると、凶の札をめくったも同然で、たちまちそこに何人かの血を見、波瀾万丈、恐ろしい渦を巻き起こさずにはおかないというのだ。
 そして刀が哭く。
 離ればなれの乾雲丸と坤竜丸が、家の檐も三寸下がるという丑満のころになると、啾々としてむせび泣く。雲は竜を呼び、竜は雲を望んで、相求め慕いあい二ふりの刀が、同じ真夜中にしくしくと泣き出すという。
 明日は、十月へはいって初の亥の日で、御玄猪のお祝い、大手には篝火をたき、夕刻から譜代大名が供揃い美々しく登城して、上様から大名衆一統へいのこ餅をくださる――これが営中…

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