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鞦韆考
しゅうせんこう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「日本中世史の研究」 同文館
1929(昭和4)年11月20日
初出「藝文 第十三年第一號」内外出版印刷、1921(大正10)年1月発行
入力者はまなかひとし
校正者湯地光弘
公開 / 更新2004-06-05 / 2014-09-18
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 鞦韆は漢字で綴ればこそむつかしくなるが、遊戯としては極めて簡單で、何人でもたやすく思ひつきさうな種類のものである。されば其源流を究めるなどは嗚呼の沙汰に近いかも知れない。然るに無造作な此技が、想像さるゝよりも少數の發明者しか持たなかつたと見えて、東洋に於ても西洋に在りても、國から國へと移り行つた跡が歴然と認められる。加之、時代によりての變遷もある。因りて今偶然の機會から動かされた貧弱な骨董心の赴くに任せて、其分布の徑路を辿つて見ることにした。
 希臘とてもあらゆる文明の根原ではない。從ひて鞦韆だとて希臘人の發明だと斷言の出來ぬことは勿論である。然し古代希臘に既に鞦韆のあつたことは慥かで、其根源に就いての話も亦希臘神話の中にある。其神話には二樣の傳へがあつて一致しないが、兩者共にイカリオスの女エリゴーネが縊死したのを以て濫觴とし、其祟りからアテンに疫病が流行したので、アテン人が恐れをなし、其靈を慰むる爲めにアイオラの祭を始め、大に鞦韆をやることにしたといふ點に於ては一致して居るけれど、エリゴーネの縊死の事情に至りては説く所まち/\である。甲の説に從へばエリゴーネの父イカリオスがヂオニソス即ちバックスの神から葡萄酒を釀す傳授を受け、諸方の人々に廣く之れを教習し且つ味はせたが、美酒に醉ひ過ごした一牧童は、己れイカリオスに毒せられたものと早合點し、憤怒のあまりイカリオスを殺した。そこでイカリオスの女エリゴーネ[#「エリゴーネ」は底本では「エリーゴネ」]はモエラといふ犬を伴ひ、父の死骸の在り所を探し當て、遂に墓畔の樹で縊死したといふことになる。即此説に從へばアイオラの祭は、父を慕ひて自殺したエリゴーネを慰め、併せて其父のイカリオスの非命に死した靈をも和めることになるが、乙の説によるとイカリオスを殺したのは餘人ならず其女エリゴーネで、彼女は其親殺しの罪を悔いて縊死したのだ。故に其眞似をして鞦韆をやれば、鞦韆には罪を償ひ攘ひ清める力があるから、之によりてイカリオスの靈を慰め得ると云ふことになる。されば乙説を採ると、惡病の流行したのはイカリオスの祟りで、甲説からすれば父のみならず娘のエリゴーネやモエラ犬の祟にもなる譯だ。而して其イカリオスは、葡萄の美酒を釀もすことを教へて貰つたのでもわかる如く、ヂオニソスの鍾愛者であるから、其非業の死を遂げたについてはヂオニソスの怒り一方ならぬは勿論のことで、アイオラの祭をやれば、同時にヂオニソス即ちバックスの神をも喜ばす所以になると云ふに至つては、甲乙兩説共に其歸を一にして居る。
 然らばアイオラの祭とはどんなものか。此祭は或はアリチデスとも稱し、首縊になぞらへて樹に繩をかけ鞦韆をやるのであるが、縊死したエリゴーネが處女であつたといふ點からして、專ら妙齡の婦女子が此技をやる習であつた。而して神話の趣旨には拘泥せず、此祭はバックスの爲めの…

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