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明治三十二年頃
めいじさんじゅうにねんごろ
作品ID24397
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第一巻」 岩波書店
1996(平成8)年12月5日
初出「俳句研究 第一巻第七号」1934(昭和9)年9月1日
入力者Nana ohbe
校正者松永正敏
公開 / 更新2004-04-18 / 2016-02-25
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 明治三十二年に東京へ出て来たときに夏目先生の紹介ではじめて正岡子規の家へ遊びに行った。それとほとんど同時に『ホトトギス』という雑誌の予約購読者になったのであったが、あの頃の『ホトトギス』はあの頃の自分にとっては実にこの上もなく面白い雑誌であった。先ず第一に表紙の図案が綺麗で目新しく、俳味があってしかも古臭くないものであった。不折、黙語、外面諸画伯の挿画や裏絵がまたそれぞれに顕著な個性のある新鮮な活気のあるものであった。現在のようなジャーナリズム全盛時代ではおそらく大多数のこうした種類の挿画や裏絵は執筆画家の日常の職業意識の下に制作されたものであろうと思うが、あの頃の『ホトトギス』の上記の画家のものはいかにも自分で楽しみながら描いたものだろうという気のするものばかりである。どうしてそんな気がするか分らない。一つにはこれらの画家が子規と特別な親交があって、そうしてこの病友を慰めてやりたいという友情が籠っていたであろうし、また一つには当時他に類のなかったオリジナルでフレッシな雑誌の体裁を創成するということに対する純粋な芸術的な興味も多分に加わっていたために、おのずから実際に新鮮な活気が溢れていたのではないかとも思われる。こうした活気はすべてのものの勃興時代にのみ見らるるものであって、一度隆盛期を通り越すと消えてしまう。これはどうにも仕様のないものである。
 たしか浅井和田両画伯の合作であったかと思うがフランスのグレーの田舎へ絵をかきに行った日記のようなものなども実に清新な薫りの高い読物であった。その内容はすっかり忘れてしまったが、それを読んだときに身に沁みた平和で美しいフランスの田舎の雰囲気だけが今でもそっくり心に残っているようである。
「闇汁会」や「柚味噌会」の奇抜な記事などもなかなか面白いものであった。これなども具体的内容は覚えていないが、この記事で窺われた当時の根岸子規庵の気分と云ったようなものだけははっきり思い出すことが出来る。
 その頃すでに読者から日記や短文の募集をしていた。自分も時に応募していたが、自分の書いた文章が活字になったのは多分それが最初であったと思う。理科大学の二年生で西片町に家を持っていたその頃の日記の一節を「牛頓日記」と名づけて出したことがある。牛頓はニュートンと読むのであるが実に妙な名前をつけたものだと思う。もっとも二年生のとき牛頓祭という理科大学学生年中行事の幹事をさせられたので、それが頭にあったためかもしれない。また、短文の方は例えば「赤」とか「旅」とかいう題を出して、それにちなんだ十行か二十行くらいの文章を書かせるのであった。何という題であったか忘れたが、自分が九歳の頃東海道を人力車で西下したときに、自分の乗っていた車の車夫が檜笠を冠っていて、その影が地上に印しながら走って行くのを椎茸のようだと感じたと見えてその車夫を椎茸と命…

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