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根岸庵を訪う記
ねぎしあんをおとなうき
作品ID24406
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第一巻」 岩波書店
1996(平成8)年12月5日
初出
入力者Nana ohbe
校正者松永正敏
公開 / 更新2004-04-14 / 2016-02-25
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 九月五日動物園の大蛇を見に行くとて京橋の寓居を出て通り合わせの鉄道馬車に乗り上野へ着いたのが二時頃。今日は曇天で暑さも薄く道も悪くないのでなかなか公園も賑おうている。西郷の銅像の後ろから黒門の前へぬけて動物園の方へ曲ると外国の水兵が人力と何か八釜しく云って直ぶみをしていたが話が纏まらなかったと見えて間もなく商品陳列所の方へ行ってしまった。マニラの帰休兵とかで茶色の制服に中折帽を冠ったのがここばかりでない途中でも沢山見受けた。動物園は休みと見えて門が締まっているようであったから博物館の方へそれて杉林の中へ這入った。鞦韆に四、五人子供が集まって騒いでいる。ふり返って見ると動物園の門に田舎者らしい老人と小僧と見えるのが立って掛札を見ている。其処へ美術学校の方から車が二台幌をかけたのが出て来たがこれもそこへ止って何か云うている様子であったがやがてまた勧工場の方へ引いて行った。自分も陳列所前の砂道を横切って向いの杉林に這入るとパノラマ館の前でやっている楽隊が面白そうに聞えたからつい其方へ足が向いたが丁度その前まで行くと一切り済んだのであろうぴたりと止めてしまって楽手は煙草などふかしてじろ/\見物の顔を見ている。後ろへ廻って見ると小さな杉が十本くらいある下に石の観音がころがっている。何々大姉と刻してある。真逆に墓表とは見えずまた墓地でもないのを見るとなんでもこれは其処で情夫に殺された女か何かの供養に立てたのではあるまいかなど凄涼な感に打たれて其処を去り、館の裏手へ廻ると坂の上に三十くらいの女と十歳くらいの女の子とが枯枝を拾うていたからこれに上根岸までの道を聞いたら丁寧に教えてくれた。不折の油画にありそうな女だなど考えながら博物館の横手大猷院尊前と刻した石燈籠の並んだ処を通って行くと下り坂になった。道端に乞食が一人しゃがんで頻りに叩頭いていたが誰れも慈善家でないと見えて鐚一文も奉捨にならなかったのは気の毒であった。これが柴とりの云うた新坂なるべし。[#挿絵][#挿絵]が八釜しいまで鳴いているが車の音の聞えぬのは有難いと思うていると上野から出て来た列車が煤煙を吐いて通って行った。三番と掛札した踏切を越えると桜木町で辻に交番所がある。帽子を取って恭しく子規の家を尋ねたが知らぬとの答故少々意外に思うて顔を見詰めた。するとこれが案外親切な巡査で戸籍簿のようなものを引っくり返して小首を傾けながら見ておったが後を見かえって内に昼ねしていた今一人のを呼び起した。交代の時間が来たからと云うて序にこの人にも尋ねてくれたがこれも知らぬ。この巡査の少々横柄顔が癪にさわったれども前のが親切に対しまた恭しく礼を述べて左へ曲った。何でも上根岸八十二番とか思うていたが家々の門札に気を付けて見て行くうち前田の邸と云うに行当ったので漱石師に聞いた事を思い出して裏へ廻ると小さな小路で角に鶯横町と札が打って…

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