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書簡(Ⅱ)
しょかん(に)
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第一巻」 岩波書店
1996(平成8)年12月5日
初出「アララギ 第廿六巻第一号 アララギ二十五周年記念特別号」1933(昭和8)年1月1日
入力者Nana ohbe
校正者松永正敏
公開 / 更新2004-04-14 / 2016-02-25
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 拝復。始終『アララギ』を送って頂いておりながらほんの時々しか読んでいないので甚だすまない気がしております。今度二十五周年記念号を出すので何か書くようとの懇篤な御すすめがありましたので何かと考えてみましたが右様の次第でありますからほとんど何も申上げる材料はないのでありますが、せっかくの御すすめでありますから、ただほんの少しばかり思い付いたことを申上げたいと思います。
 私ども平生自分で歌を作っていないものにとっては、ただ一本立の歌に対する興味はどうしても薄いようであります。しかし連作風に数首を連ねたものには、一種不思議な興味を感じさせられます。一首一首の巧拙などはもちろんよく分らなくても、全体として見たときに感ずる一種の雰囲気のようなものがあって、それが色々暗示を与えるからであります。連作にもいろいろありましょうが、例えば雪なら雪をいろいろの角度からいろいろの距離で眺めたものも面白くないことはありませんが、しかし私どもにはそういうのよりも、むしろ、表面上何の関係もないような多種の影像が連立していて、叙景や抒情が入り乱れ、時々思いがけもないようなものが飛び出して来る方がどうも面白く感ぜられます。そういう場合には、眼前の数首の歌で一つの面を作っているとすると、その面の上にも下にもいくつもの面が限りもなく層状に重畳していて、つまり一つの立体的の世界がある、その世界の一つの断面がくっきり描かれているような気がします。それである一つの歌と次の歌とが表面上関係はないようでも、それから少し下層へ掘込んで行くとどこかで、しっかり必然的につながっているように思われ、それを掘込んで行くときに結局不知不識に自分自身の体験の世界に分け入ってその世界の中でそれに相当するつながりを索めることになります。その捜索の経路の中に数限りもない過去の夢のような影像が眼前を通過するのであります。
 それについて私の平生の疑問は、これらの連作をされる方々が、どういう方法で一聯の連作を纏めておられるかということであります。一見したところでは、人によってこれはずいぶん色々であるように思われます。しかし私の素人考えではこの方法論はかなり突きつめて研究さるべき問題のように思われます。そうして色々の変った新しい様式が将来生れ得る可能性が多分にありそうにも思われます。今のところでは既にいくらかの定型が出来ているようでありますが、しかしもっとちがった型式がまだまだいろいろあってもよいような気がするのであります。
 一人の作者の一聯の連作と並んで別の題でまた同じ人の数首の歌の出ているのは、私のような眼で読むものには、ちょっと気分が統一しないような感じがすることもあります。しかしよく見るとそういうのでも、どこかちゃんと一つの全体を形作って一人の作者のある時期の心の世界の断面を見るような気がすることもしばしばあります。…

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