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写生紀行
しゃせいきこう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦随筆集 第一巻」 岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年2月5日、1963(昭和38)年10月16日第28刷改版
初出「中央公論」1922(大正11)年1月
入力者(株)モモ
校正者かとうかおり
公開 / 更新2003-07-14 / 2014-09-17
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 去年の春から油絵の稽古を始めた。冬初めごろまでに小さなスケッチ板へ二三十枚、六号ないし八号の画布へ数枚をかいた。寒い間は休んでことし若葉の出るころからこの秋までに十五六枚か、事によると二十枚ほどの画布を塗りつぶした。これらのものの大部分はみんなうちの庭や建物の一部を写生したものである。
 静物もかかないわけではなかった。しかし花を生けて写生しようと思うとすぐにしおれたり、またこれに反して勢いのいいのは日ごとの変化があまりにはげしくて未熟なものの手に合わなかった。壺やりんごもおもしろくない事はないが、せっかく「生きた自然」の草木が美しく、それに戸外が寒くなくていい時候に、室内の「死んだ自然」と首っ引きをするのももったいないような気がした。静物ないし自画像などは寒い時のために保留するというような気もあって、暖かいうちはなるべく題材を戸外に求める事に自然となってしまった。もっとも戸外と言ってもただ庭をあちらから見たりこちらから見たり、あるいは二階か近所の屋根や木のこずえを見たところなど、もしこれがほんとうの画家ならば始めからてんで相手にしないようなものを、無理に拾い出し、切り取っては画布に塗り込むのであった。それだから、どの絵にもどの絵にも同じ四つ目垣のどこかの部分が顔を出していたり、同し屋根がどこかに出っ張ったりしている事になるのは免れ難い。
 それでも私にとってはやはりおもしろくない事はなかった。たとえば四つ目垣でも屋根でも芙蓉でも鶏頭でも、いまだかつてこれでやや満足だと思うようにかけた事は一度もないのだから、いくらかいてもそれはいつでも新しく、いつでもちがった垣根や草木である。おそらく一生かいていてもこれらの「物」に飽きるような事はあるまいと思う。かく事には時々飽きはしても。
 展覧会などで本職の画家のかいた絵を見ると、美しい草木や景色や建築物やが惜しげもなく材料に使われている。今の自分から見るとこれらの画家は実にうらやましい有福な身分だと思う。世の中に何がぜいたくだと言って、このような美しく貴重な自然を勝手自在にわが物同様に使用し時には濫費してもいいという、これほどのぜいたくは少ないと思う。これに匹敵するぜいたくはおそらくただ読書ぐらいのものかもしれない。
 そんな絵を見るたびに、きっと自分も門から外へ出てかいてみたくなるのである。一歩門を出さえすれば、ついそこの路地にでも川岸にでも電車停留場にでも、とにかくうちの庭とは比較にならないほどいい題材が、もったいないように無雑作に、顧みられずにころがっている。わざわざ旅費を出して幾日も汽車を乗り回す必要などはないように思われる。しかしどうもこの東京の街頭に画架をすえて、往来の人を無視してゆっくり落ち着いて、目を細くしたり首をひねったりする勇気は――やってみたら存外あるかもしれないが、考えてみただけではどうもな…

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