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亮の追憶
りょうのついおく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦随筆集 第二巻」 岩波文庫、岩波書店
1947(昭和22)年9月10日、1964(昭和39)年1月16日第22刷改版
初出「明星」1922(大正11)年5月
入力者(株)モモ
校正者かとうかおり
公開 / 更新2003-07-05 / 2014-09-17
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 亮の一周忌が近くなった。かねてから思い立っていた追憶の記を、このしおに書いておきたいと思う。
 亮は私の長姉の四人の男の子の第二番目である。長男は九年前に病死し、四男はそれよりずっと前、まだ中学生の時代に夭死した。昨年また亮が死んだので、残るはただ三男の順だけである。順はとくにいでて他家を継いでいる。それで家に残るは六十を越えた彼らの母と、長男の残した四人の子供と、そして亮の寡婦とである。さびしい人ばかりである。

 亮の家の祖先は徳川以前に長曾我部氏の臣であって、のち山内氏に仕えた、いわゆる郷士であった。曾祖父は剣道の師範のような事をやっていて、そのころはかなり家運が隆盛であったらしい。竹刀が長持ちに幾杯とかあったというような事を亮の祖母から聞いた事がある。
 亮の父すなわち私の姉の夫は、同時にまた私や姉の従兄に当たっている。少年時代には藩兵として東京に出ていたが、後に南画を川村雨谷に学んで春田と号した。私が物心ついてからの春田は、ほとんどいつ行っても絵をかいているか書を習っていた。かきながら楊枝を縦に口の中へ立てたのをかむ癖があった。当時のいわゆる文人墨客の群れがしばしばその家に会しては酒をのんで寄せがきをやっていたりした。一方ではまた当時の自由党員として地方政客の間にも往来し、後には県農会の会頭とか、副会頭とか、そういう公務にもたずさわっていたようであるが、そういう方面の春田居士は私の頭にほとんど残っていない。
 わくに張った絵絹の上に山水や花鳥を描いているのを、子供の私はよくそばで見ていた。長い間見ていても、ほとんど口をきくという事はなかった。しかし、さも楽しそうに筆を動かしては楊枝をかんでながめているのを、そばで黙って見ているのがなんとなく気持ちがよかった。そこにはいつものどかな春永の空気があった。
 私のみならず、家内じゅうのだれともめったに口をきいている事はまれなようであったが、ただ夕飯の膳にきまって添えられた数合の酒に酔って来ると、まるで別人のように気軽く物を言った。四人の子供や私などを相手にしていろいろの昔話をした。若い時分に東京で習ったとかいう講釈師の口まねをしたりして皆を笑わせた。藩兵になって日比谷の藩公邸の長屋にいた時分の話なども、なんべん同じ事を聞かされても、そのたびに新しいおもしろみとおかしみを感じさせた。それで子供らは、そういういくつかの取っておきの話の中から、あれをこれをと注文して話させては笑いこけるのであった。夏になると裏の畑に縁台を持ち出して、そこで夜ふけるまで子供を肴にして酒をのんでいた。どうかすると、そこで酔い倒れてしまったのを、おおぜいで寝間までかつぎ込んだものである。どうかするときげんのよくない時もあって、そういう時は子供らは近づいてはいけない事になっていた。
 春田は十二三年前に五十余歳で喉頭癌のためにたおれた…

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