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ちち
作品ID245
著者太宰 治
文字遣い新字新仮名
底本 「太宰治全集9」 ちくま文庫、筑摩書房
1989(平成元)年5月30日
初出「人間」1947(昭和22)年4月
入力者柴田卓治
校正者かとうかおり
公開 / 更新2000-01-23 / 2014-09-17
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

イサク、父アブラハムに語りて、
父よ、と曰ふ。
彼、答へて、
子よ、われ此にあり、
といひければ、
            ――創世記二十二ノ七


 義のために、わが子を犠牲にするという事は、人類がはじまって、すぐその直後に起った。信仰の祖といわれているアブラハムが、その信仰の義のために、わが子を殺そうとした事は、旧約の創世記に録されていて有名である。
 ヱホバ、アブラハムを試みんとて、
 アブラハムよ、
 と呼びたまふ。
 アブラハム答へていふ、
 われここにあり。
 ヱホバ言ひたまひけるは、
 汝の愛する独子、すなはちイサクを携へ行き、かしこの山の頂きに於て、イサクを燔祭として献ぐべし。
 アブラハム、朝つとに起きて、その驢馬に鞍を置き、愛するひとりごイサクを乗せ、神のおのれに示したまへる山の麓にいたり、イサクを驢馬よりおろし、すなはち燔祭の柴薪をイサクに背負はせ、われはその手に火と刀を執りて、二人ともに山をのぼれり。
 イサク、父アブラハムに語りて、
 父よ、
 と言ふ。
 彼、こたへて、
 子よ、われここにあり、
 といひければ、
 イサクすなはち父に言ふ、
 火と柴薪は有り、されど、いけにへの小羊は何処にあるや。
 アブラハム、言ひけるは、
 子よ、神みづから、いけにへの小羊を備へたまはん。
 斯くして二人ともに進みゆきて、遂に山のいただきに到れり。
 アブラハム、壇を築き、柴薪をならべ、その子イサクを縛りて、之を壇の柴薪の上に置せたり。
 すなはち、アブラハム、手を伸べ、刀を執りて、その子を殺さんとす。
 時に、ヱホバの使者、天より彼を呼びて、
 アブラハムよ、
 アブラハムよ、
 と言へり。
 彼言ふ、
 われ、ここにあり。
 使者の言ひけるは、
 汝の手を童子より放て、
 何をも彼に為すべからず、
 汝はそのひとりごをも、わがために惜まざれば、われいま汝が神を畏るるを知る。
 云々というような事で、イサクはどうやら父に殺されずにすんだのであるが、しかし、アブラハムは、信仰の義者たる事を示さんとして躊躇せず、愛する一人息子を殺そうとしたのである。
 洋の東西を問わず、また信仰の対象の何たるかを問わず、義の世界は、哀しいものである。
 佐倉宗吾郎一代記という活動写真を見たのは、私の七つか八つの頃の事であったが、私はその活動写真のうちの、宗吾郎の幽霊が悪代官をくるしめる場面と、それからもう一つ、雪の日の子わかれの場を、いまでも忘れずにいる。
 宗吾郎が、いよいよ直訴を決意して、雪の日に旅立つ。わが家の格子窓から、子供らが顔を出して、別れを惜しむ。ととさまえのう、と口々に泣いて父を呼ぶ。宗吾郎は、笠で自分の顔を覆うて、渡し舟に乗る。降りしきる雪は、吹雪のようである。
 七つ八つの私は、それを見て涙を流したのであるが、しかし、それは泣き叫ぶ子供に同情…

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