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銀座アルプス
ぎんざアルプス
作品ID2478
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦随筆集 第四巻」 岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日、1963(昭和38)年5月16日第20刷改版
初出「中央公論」1933(昭和8)年2月
入力者(株)モモ
校正者かとうかおり
公開 / 更新2003-05-17 / 2014-09-17
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 幼時の記憶の闇の中に、ところどころぽうっと明るく照らし出されて、たとえば映画の一断片のように、そこだけはきわめてはっきりしていながら、その前後が全く消えてしまった、そういう部分がいくつか保存されて残っている。そういう夢幻のような映像の中に現われた自分の幼時の姿を現実のこの自分と直接に結びつけて考えることは存外むつかしい。それは自分のようでもあり、そうでないようでもある。自分と密接な関係のあることは確実であるが、現在の自分とのつながりがすっかり闇の中に没している。その、絶えているかつながっているかわからないようなつながりを闇の中に探り出そうとするときに、われわれは平素頼みにしている自分の理性のたよりなさを感じる。そうして人間の意識的生活というものがほんとうに夢か幻のようなものであるように思われて来るのである。そういう記憶の断片がはたしてほんとうにあったことなのか、それとも、いつかずっと後年になってから見た一夜の夢の映像の記憶を過去に投影したものだか、記憶の現実性がきわめて頼み少ないものになって来るのである。
 自分の幼時のそういう夢のような記憶の断片の中に、明治十八年ごろの東京の銀座のある冬の夜の一角が映し出される。
 その映画の断片によると、当時八歳の自分は両親に連れられて新富座の芝居を見に行ったことになっている。それより前に、田舎で母に連れられて何度か芝居を見たことはあったようであるが、東京の芝居を見たのはおそらくその時がはじめてであったらしい。どんな芝居であったかほとんど記憶がないが、ただ「船弁慶」で知盛の幽霊が登場し、それがきらきらする薙刀を持って、くるくる回りながら進んだり退いたりしたその凄惨に美しい姿だけが明瞭に印象に残っている。それは、たしか先代の左団次であったらしい。そうして相手の弁慶はおそらく団十郎ではなかったかと思われるが、不思議と弁慶の印象のほうはきれいに消えてなくなってしまっている。しかし時の敗者たる知盛の幽霊に対して、子供心にもひどく同情というかなんというかわからない感情をいだいたものと見えて、そういう心持ちが今でもちゃんと残留しているのである。
 芝居茶屋というものの光景の記憶がかすかに残っている、それを考えると徳川時代の一角をのぞいて来たような幻覚が起こる。
 芝居がはねて後に一同で銀座までぶらぶら歩いたものらしい。そうして当時の玉屋の店へはいって父が時計か何かをひやかしたと思われる。とにかくその時の玉屋の店の光景だけは実にはっきりした映像としていつでも眼前に呼び出すことができる。
 夜ふけて人通りのまばらになった表の通りには木枯らしが吹いていた。黒光りのする店先の上がり框に腰を掛けた五十歳の父は、猟虎の毛皮の襟のついたマントを着ていたようである。その頭の上には魚尾形のガスの炎が深呼吸をしていた。じょさいのない中老店員の一人は、…

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