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錯覚数題
さっかくすうだい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦随筆集 第四巻」 岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年5月15日、1963(昭和38)年5月16日第20刷改版
初出「中央公論」1933(昭和8)年8月
入力者(株)モモ
校正者かとうかおり
公開 / 更新2003-06-22 / 2014-09-17
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一 ハイディンガー・ブラッシ

 目は物を見るためのものである。目がなければ外界の物は見えない。しかし目が二つあれば目で見えるはずのものがなんでも見えるかと言うと、そうは行かない。眼前の物体の光学的影像がちゃんと網膜に映じていてもその物の存在を認めないことはある。これはだれでも普通に経験することである。たとえば机の上にある紙切りが見えないであたり近所を捜し回ることがある。手に持っている品物をないないと言って騒ぐのは、漫画のヒーロー「あわてものの熊さん」ばかりではない。
 留守にたずねて来た訪問客がだれだかよくわからない場合に、取り次いだ女中に「鬚があったか、なかったか」と聞いてみると、大概の場合に、はっきりした記憶がない。故長岡将軍くらいの程度ならばこういう認識不足はないであろうが。
 知人の家の結婚披露の宴に出席する。宅へ帰って「お嫁さんはきれいなかたでしたか」と聞かれれば「きれいだったよ」と答える。およそ、きれいでない新婦などは有り得ないのである。しかし、どんな式服を着ていたかと聞かれると、たった今見て来たばかりの花嫁の心像は忽然として灰色の幽霊のようにぼやけたものになってしまう。
「あなたの懐中時計の六時の所はどんな数字が書いてありますか」と聞いてみると、大概の人はちょっと小首をかしげて考え込んでしまう。実物を出して見ると、六時の所はちょうど秒針のダイアルになっているのである。
 こういう認識不足の場合はいいが、認識錯誤の場合にはいろいろの難儀な結果が生じる。盗難や詐欺にかかった被害者の女師匠などが、加害者でもなんでもない赤の他人の立派なお役人を、どうでもそうだと言い張る場合などがそれである。
 突発した事件の目撃者から、その直後に聞き取ったいわゆる証言でも大半は間違っている。これは実験心理学者の証明するとおりである。そのいわゆる実見談が、もう一人の仲介者を通じて伝えられる時は、もう肝心の事実はほとんど蒸発してしまって、他のよけいなものやまるで反対のものなどが入り交じってしまっている。写真をとっても証拠にならぬ場合のある事はアムンゼンの飛行機の行くえに関する間違いの例でも知られる。
 新聞記事の間違いだらけな事はもちろん周知のことであるが、きのうの出来事さえ真実が伝わらぬとすればいわゆる史実と称するものもどこまで信用できるかわからない。ことによると九十パーセントが間違いかもしれない。
 いっそのこと、全部間違いばかりと事がらがきまればかえって楽であるが、困ったことには時にほんとうなことが交じるので全部捨てるわけにゆかないから始末が悪いのである。
 われわれの目も時々われわれをだますが、いつもだますと限らないで、時々は気まぐれにほんとうのものを見せてくれるので困る。そうでなければ目などはないほうがたしかに利口になれるであろう。
 ハイディンガー…

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