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映画雑感(Ⅲ)
えいがざっかん(さん)
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦随筆集 第五巻」 岩波文庫、岩波書店
1948(昭和23)年11月20日、1963(昭和38)年6月16日第20刷改版
初出「キネマ旬報」1934(昭和9)年6月、「映画評論」1934(昭和9)年10月
入力者(株)モモ
校正者かとうかおり
公開 / 更新2003-05-11 / 2014-09-17
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一 にんじん

 「にんじん」は忙しい時にちょっと一ぺん見ただけで印象の記憶も散漫であるが、とにかく近ごろ見たうちではやはり相当おもしろい映画の一つであると思われた。
 登場人物の中でいちばんじょうずな役者は主人公のにんじんである。少しも芝居くさいところがなくて実に自然に見える。幼い女の子も同様である。もっともこれは何もこの映画に限ったことではない。昔のジャッキー・クーガン以来小さい子供はみんなたいてい映画俳優として成効している。日本でも同様である。先日見た「エノケンの酔虎伝」でもお客様に出してある菓子を略奪に出て来る男の子がどの俳優よりもいちばん自然で成効しているように思われた。このことは映画俳優の演芸が舞台俳優のそれと全くちがった基礎の上に立つべきものだということをわれわれに教えるものではないかと思われる。ロシア映画で教養も何もない農夫が最も光ったスターとして現われ、アメリカ映画でも土人のほうが白人の映画俳優の下っぱなどより比較にならぬほどいい芝居をして見せるのも同様な現象である。自然を背景とした芝居では人間もやはり自然な芝居をしなければつりあわないであろう。
 こういう意味からすれば、にんじんの父も母も女中もおじさんも皆少し芝居をし過ぎるような気もするが、しかし元来西洋人は日本人に比べると平生でも挙動がだいぶ芝居じみているから、あれぐらいはちょうどいいのかもしれない。
 この映画に現われるフランスの田舎の自然は実に美しい。二十世紀のフランスにもまだこんな昔の田舎が保存されているかと思うと実にうらやましい気がした。コローやドービニーなどの風景画がそっくり抜け出して来たように思われてうれしかった。日本ではおそらくこんな所はめったに見られないであろう。そういう田舎の名づけ親のおじさんの所へ遊びに行ったにんじんが、そこの幼いマチルドと婚礼ごっこをして牧場を練り歩く場面で、あひるや豚や牛などがフラッシで断続交互して現われ、おじさんの紙腔琴に合わせて伴奏をするところも呼吸がよく合って愉快である。そうした趣向がうまいのではなくて、ただその編集の呼吸がうまいのである。同じことをやるのでもドイツ映画だとどうしても重くるしくなりがちのように思われる。同じようにこの呼吸のうまい他の一例は、停車場の駅長かなんかの顔の大写しがちょっと現われる場面である。実になんでもないことだが、あすこの前後の時間関係に説明し難い妙味がある。
 女中が迎えに来て荷馬車で帰る途中で、よその家庭の幸福そうな人々を見ているうちににんじんの心がだんだんにいら立って来て、無茶苦茶に馬を引っぱたいて狂奔させる、あすこの場面の伴奏音楽がよくできているように思う。ほんとうにやるせのない子供心の突きつめた心持ちを思わせるものがある。
 池へ投身しようとして駆けて行くところで、スクリーンの左端へ今にも衝突…

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