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病牀瑣事
びょうしょうさじ
作品ID2532
著者正岡 子規
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆28 病」 作品社
1985(昭和60)年2月25日
入力者遠藤貴
校正者今井忠夫
公開 / 更新2001-01-22 / 2014-09-17
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

○我ながらなが/\しき病に飽きはてゝ、つれ/″\のやるかたなさに書読み物書くを人は我を善く勉めたりといふ。日頃書などすさめぬ人も長き病の牀には好みて小説伝記を読み、あるはてにはの合はぬ歌発句をひねくりなどするものなり。況して一たび行きかゝりし斯道、これに離れよといはんは死ねといはんの直接なるに如かず。
○をとゝしの頃は三十八度以上の体熱ありて、しかも能く客と語り能く字を書くを自ら驚き思へり。今年五月よりこのかた三十九度以上の熱度を以て、能く飯し能く詠じ能く書き能く語ることあり。されどこは習ひなり、強ひて勉むるに非ず。
○病やゝおこたりて詩思いまだ動かず。熱のさしひきこそあれ、苦痛すくなくなりしに、始めて日の長きを知る程なりしかば、書読みたしの念起りて、徳川時代の漢学者の随筆を見初めぬ。読めば面白く、面白ければ読み、疲るゝ眼をいたはりながら少しづゝ読む日数積りて、いつの間にか数十巻を了へたり。更に他の巻を求むれば最早無しといふ。学校の試験すみて級一つ上りし心地にうれしさはいはんかたなし。其中にて最も驚きたるは蕃山の経済、徂徠の学説なり。いづれもいくばくのひがみたる考無きにあらねど、大体に於て見地の高きこと固より世の常の儒者にたぐふべくもあらず。徂徠が修辞上の古学と経学とを結びつけんとしたるは僻せり。孔子の教に非ずとして孟子をも朱子をも斥けたる大見識を以て、更に一足を進めて孔子を評せざりしはいと歯痒し。今一たび苔の下より呼び起して話して見たきは徂徠なり。
○古き人の随筆読み尽して、又日を消すべき術無きに困じはてつ、ふと碁の定石を知らんと思ひなりぬ。吾いまだ碁を知らず。今はた碁を学んで人と勝敗を争ふの心も無けれど、定石を知るは幾何学の理論を読むが如き面白味あらんかと、初歩の本など借り来り、紙の碁盤、土の碁石、丁々といふ音もなく、いと淋しげに置き習ひぬ。忽ち覚え忽ち忘れ、何のことわりとも知らで、黒、白、黒、白と心も移らず遊びけるを、さと吹き入るゝ風に碁盤飛び碁石ころげて、昔の闇に帰りける、それも涼しや。
○夢にては立ちて歩くこと病無き昔の如し。たま/\にはきのふ迄足なへなりし吾のけふ俄かに足立ちたりと覚えて夢心地に喜ぶこともあり。斯る夢のさめたる時、もしや誠に足の立つにはあらずやなど思ひて、こゝろみに足蹈みのばし見るもはかなき限りなり。此春迄は両足蹈みのばせば左の足の踵は右の足のくる節に届きしを、今は左の指の尖が彼の節に触るゝばかりに縮みける。されど夢にはあらで、ふと足の伸ぶべきやうに覚えて、蹈みのべて見ては失望することすら少からず。我ながらおろかにぞなりまさりける。
○病みて臥せる身には日和程嬉しきはなし。朝々雨戸明けしむる時、寝ながらに外面に向きて空を窺ふ、彼方の上野の森に朝日のあたるを見れば胸の塵一時に掃かれたる心地す。若し空曇りて薄暗き時は新聞を披きて先づ天…

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