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日記のうち
にっきのうち
作品ID2551
著者与謝野 晶子
文字遣い新字旧仮名
底本 「早稲田文学」 早稲田文学社
1912(明治45)年1月号
入力者武田秀男
校正者門田裕志
公開 / 更新2003-02-28 / 2014-09-17
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十一月十三日
きゆうきゆうと云ふ音が彼方でも此方でもして、何処の寝台ももう畳まれて居るらしいので、わたしも起きないでは悪いやうな気がして蒲団の上に坐つた。けれどまだ実際窓の外は薄暗さうである。富士が見えるかも知れぬと思ふが窓掛を引く気にもならない。身繕ひをして下駄を穿きながら、ボーイに心附けを遣らないでおけば物を云ふ世話がなからうなどと考へて居た。洗面所に入つて髪を結つて来た間に上の寝台もしまはれて、大阪の商人は黄八丈の寝間着の儘で隣に腰掛けて楊枝を使つて居た。日が当つて富士が一体に赤銅色をして居る。頭が痛い。何時この汽車が新橋へ着くのかわたしは知らない。八時半頃であらうかとも思ひ、十一時迄かかるのではなからうかとも危まれる。良人の船が門司を出るであらう、光と秀は学校へ行く仕度をして居るであらうが、あの子等とは三時にならなければ逢はれないなどと思ふ。袂へ手を入れると京都の停車場で岩城さんと智さんに貰つた敷島がめいつた風をして三四本出て来た。火を附けて飲みながら、良人の船を下りる時わたしの持つて居た風呂敷には何が入つて居たのであらう、良人よりも大切な物と思つてわたしがそれを抱いて持つて行くと良人は思はなかつたであらうか、而も憎い色の退紅色のあの風呂敷包を海へ捨ててしまへばよかつたなどと思ふ。毀たれは[#「は」はママ]家の後に残つた十畳と四畳の二間に、箪笥や仏壇をごたごたと並べてその中で二人の子にやんちやを云はれながら笑顔をして居た弟夫婦が哀れに思ひ出されもする。熊七が乗つて来た汽車はどの辺に居るであらうなどとも思ふ。食堂へ誰も誰も行く。[#「。」は底本では脱落]通つて行く女が皆團十郎の妹娘の旭梅とか云ふ人の風[#ルビの「う」はママ]つきをして居る。わたしは食べたくないことよりもものを云ひたくない心が多くて弁当も買はないのである。国府津で新聞だけは黙つて居ても売つてくれないかとさう思つて、列車の端に出て行つて懐中の紙入に手を掛けながら立つて居たがその儘汽車は動き出した。こんなのであるから家へ帰つても行かねばならない家へも行かないで、書かなければならぬ手紙も書かないで居るのであらう。やつぱり八時半頃に新橋へ来た。修さんと桃が来て居てくれた。不思議にいろいろと私がものを云ふ。
『麟坊ちやんが少し悪くてね。』
『まあさうなんですか。』
とわたしが云ふ間もなく、
『じふてりやでね、軽いのですがね。』
と修さんは云つた。わたし等三人は早足で車寄へ出た。修さんは麟の容体は注射をした後であるから少し熱があるかも知れないが案じるには及ばないと繰返し繰返しわたしに云つて、それから電車で役所へ行つた。車に乗つたわたしは末の男の子の病気を思ひ懸けずに聞いて混乱した頭の横で、何故今朝桃はいつものやうに水際立つて綺麗な顔には見えなかつたのであらうとそんなことを物足りなく思つて居た。車夫…

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