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服装に就いて
ふくそうについて
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「太宰治全集4」 ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年12月1日
初出「文藝春秋」1941(昭和16)年2月
入力者柴田卓治
校正者青木直子
公開 / 更新2000-01-28 / 2014-09-17
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ほんの一時ひそかに凝った事がある。服装に凝ったのである。弘前高等学校一年生の時である。縞の着物に角帯をしめて歩いたものである。そして義太夫を習いに、女師匠のもとへ通ったのである。けれどもそれは、ほんの一年間だけの狂態であった。私は、そんな服装を、憤怒を以てかなぐり捨てた。別段、高邁な動機からでもなかった。私が、その一年生の冬季休暇に、東京へ遊びに来て、一夜、その粋人の服装でもって、おでんやの縄のれんを、ぱっとはじいた。こう姉さん、熱いところを一本おくれでないか。熱いところを、といかにも鼻持ちならぬ謂わば粋人の口調を、真似たつもりで澄ましていた。やがてその、熱いところを我慢して飲み、かねて習い覚えて置いた伝法の語彙を、廻らぬ舌に鞭打って余すところなく展開し、何を言っていやがるんでえ、と言い終った時に、おでんやの姉さんが明るい笑顔で、兄さん東北でしょう、と無心に言った。お世辞のつもりで言ってくれたのかも知れないが、私は実に興覚めたのである。私も、根からの馬鹿では無い。その夜かぎり、粋人の服装を、憤怒を以て放擲したのである。それからは、普通の服装をしているように努力した。けれども私の身長は五尺六寸五分(五尺七寸以上と測定される事もあるが、私はそれを信用しない。)であるから、街を普通に歩いていても、少し目立つらしいのである。大学の頃にも、私は普通の服装のつもりでいたのに、それでも、友人に忠告された。ゴム長靴が、どうにも異様だと言うのである。ゴム長は、便利なものである。靴下が要らない。足袋のままで、はいても、また素足にはいても、人に見破られる心配がない。私は、たいてい、素足のままではいていた。ゴム靴の中は、あたたかい。家を出る時でも、編上靴のように、永いこと玄関にしゃがんで愚図愚図している必要がない。すぽり、すぽりと足を突込んで、そのまますぐに出発できる。脱ぎ捨てる時も、ズボンのポケットに両手をつっこんだままで、軽く虚空を蹴ると、すぽりと抜ける。水溜りでも泥路でも、平気で濶歩できる。重宝なものである。なぜそれをはいて歩いては、いけないのか。けれどもその親切な友人は、どうにも、それは異様だから、やめたほうがいい、君は天気の佳い日でもはいて歩いている、奇を衒っているようにも見える、と言うのである。つまり、私がおしゃれの為にゴム長を、はいて歩いていると思っているらしいのである。ひどい誤解である。私は高等学校一年の時、既に粋人たらむ事の不可能を痛感し、以後は衣食住に就いては専ら簡便安価なるものをのみ愛し続けて来たつもりなのである。けれども私は、その身長に於いても、また顔に於いても、あるいは鼻に於いても、確実に、人より大きいので、何かと目ざわりになるらしく、本当に何気なくハンチングをかぶっても、友人たちは、やあハンチングとは、思いつきだね、あまり似合わないね、変だよ、よした方…

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